まだ春遠き2月の頃合い。 花粉症さえなければ、暖かくなった春の御陽気と共にお写ン歩三昧といきたいところ、花粉症の症状が脳裏を過ぎるとその気も失せるわけで...(^^;)ハハハ。 そんな気を紛らわすかのように、この時期写真家の写真集をよく観ていたのです。
とろとろした上天気で、時折、強い風が吹いて、どの町も人通りが少く、どことなく無愛想な町。浅草から東武伊勢崎線に乗り、草加、足利、館林、桐生、太田、佐野市などを、生意気にカメラを持った虫が、もぞもぞ動きまわり、いゝ気持ちになるとシャッターを押した…。
そんな頃合いに出会った一冊の写真集がこちらの武田花さんの『眠そうな町』。 まず、目に止まったのが東武伊勢崎線。まさにボクの実家の沿線である、足利、館林、桐生、太田を巡った写真集なのだ。 この辺りは秋ともなると西から東に向かって赤城おろしのからっ風が吹き荒び、みな車移動なんで、大通りにも人通りは少なく。でも天気がいい日はたしかにのほほんとした風情の町と町なのだ。
そんな見覚えがありそうで、実際はいったことはない見知った町の写真を見ていて、突然、中学高校の6年間の想い出が詰まった実家の隣町の足利に行ってみたい衝動に駆られたのである。
北千住で東武伊勢崎線、というかいまや東武スカイツリーラインとかいうワケわかんない名前に変わってるんだよね...(^^;)ハハハ。 そんな東武伊勢崎線の特急りょうもう号に揺られて足利市駅にて下車。その次の停車駅は実家の最寄り駅の太田駅。
足利市駅のホームの端からの眺め。
中学時代、帰宅時に友だちとお菓子を啄みながら帰りの電車を待っていたホームの端。 30年以上前になる当時となにも変わっていない。 なんか泣けてきそう...(^^;)ハハハ。
そんなホームの端から当時通っていた足利学園中等部の校舎があった方向を眺めてみる。 残念なことに、渡良瀬川の向こう川に当時の校舎は残っておらず、新しい校舎に建て替えられている。
ホームの中程まで移動して、渡良瀬川に架かる中橋を。 手前右にあるニューミヤコホテル以外はすっかり変わってしまった駅前。 同級生の中には特徴的な歩き方をする子がおり、ここから眺めていて、あ゛っ!?アイツがやってきたっ!?とか意味なく盛り上がっていたモノである...(遠い目)。
駅の改札を出ると、みんな大好き足利の銘菓『古印最中』の看板に、母校?の看板。 当時ボクが通っていた中学は『足利学園中等部』という名称だったが、当時から同一の学校法人だった白鳳大学を頂点に統合して、いまや『白鳳大学足利中学校』という名前に変わってしまっているのだ...(TT)涙。
1993年、すでに大学も卒業して社会人になった頃に突然森高千里の『渡良瀬橋』がヒットしたときには、正直面食らったモノである。 なぜ森高が?なにゆえ渡良瀬橋??と(笑)
この自動販売機の左側の空きスペースに当時は売店があり、学校帰りにチップスターやらハイチュウやら、みんなバラバラに購入して、先ほどのホームの端で分け合ってくだらない中坊の会話を繰り返していたのだ。
足利市駅を後にして、通学路を旧足利学園中等部まで!
昔から変わらない、緑色の中橋。
駅周辺の渡良瀬川には3本の橋が架かっており、中央の緑色の中橋の他に、北に向かって左側には森高千里が歌った灰色の渡良瀬橋。
北に向かって右側には赤色の田中橋が架かっている。 今回は渡良瀬橋から田中橋の範囲辺りを当時を振り返ってお写ン歩してみることにした。
中橋を渡り、市街地へと続く中橋通り。 こころまっすぐ進むと中学高校とお世話になった塾や足利氏の菩提寺である鑁阿寺に行き着く。 まずは直進せずに通学路を右へ!渡良瀬川の土手を歩くことにする。
田中橋を望む、東方面の渡良瀬川の土手。 清々しい空気もさることながら、なんか胸がキツくなる。
学校帰りに眺めては綺麗だなぁ〜と思っていた渡良瀬川の光景。 ホントは夕暮れ時に西に太陽が沈んでいくところが一番綺麗なんだけど。 森高も渡良瀬橋で歌った通り、この眺めは沁みます...(TT)涙。
土手から眺めた光景でなんか違うと思ったのは、昔はキンカ堂があったところが結婚式場に変わってしまっていた点。 当時、学校帰りにキンカ堂のゲームセンターに寄るのが定番だったのだ。 しかし、その割にボクは中学2年にしてゲームの才能がないことを思い知るのである。 当時、なんとかボクが時間稼ぎが出来たゲームは2DパズルレースのニューラリーXと障害物を避けながらビルをよじ登るクレイジークライマーしかなかった。 ゲームセンターとともにたまり場になったのが1Fにあったミスタードーナツである。 キャンペーンのクジの時期になると、外れのカードも持ち寄って正解を導き出して、戦利品をいただいていったモノである。
この辺りには、DCブランドブームが始まりつつあった中で、田舎にしてはお洒落なセレクトショップがあったところだ。 その後、お店の持ち主は何度か変わったのだろうが、いまは廃墟と化しつつある。
同級生の家。お米屋だったと思うンだけど、TATOOって?? なにやらこの近辺、3件くらいTATOO屋さんをお見かけしたのだ。 一体、この近辺はどんな変化が起きているっ!?!?
こんななかなかなストリートグラフィックが描かれていたり...(^^;)ハハハ。 いまでもこの道は白鳳大学足利高等学校&中学校に通う通学路なはずなんだけど.......。
この辺りを確認してみると、どうやらクラブがあるようで...(^^;)ハハハ。
ちょうど、キンカ堂跡地の結婚式場の斜め前辺り。 この辺て、そういえばモスバーガーもあったんだよね。 当時から、やっぱりマクドナルドよりも美味しくて、なんとまだそのころはハンバーガーだけではなく、サブウェイのようなサンドイッチもメニューにあったり。 中学の頃から普通にモスバーガーのてりやきバーガーを喰って育っていたんで、上京してからオールナイトフジをキッカケに東京でモスバーガーのてりやきバーガーが流行ったのが、なんで今頃?という感覚だったのを思い出す。 その後、大学のゼミで国内ハンバーガーショップの調査をした際にはじめて知ったんだけど、モスバーガーって最初は田舎から店舗を出し始めてたらしいんだよね。 なので、田舎の方が当時はモスバーガーに出会える確率が高かったと。
こちらは、建物は当時のままだけどテナントは当時のお店は一つも残っておらず...(^^;)ハハハ。 まぁ、当然だよね。 名前は忘れちゃったけど、ここには今でいうところのB級グルメの足利ポテト焼きそばを出してくれるお店があり、特別メニューとしてポテト焼きそばにタバスコ一本分かけたモノを完食すると、料金無料&店内に写真掲載!という名誉を与えてくれるイベントがあった。 みな、食い気に走るお年頃なんで、無料に釣られるモノ、名誉を求めるモノ悲喜こもごもの中、けっこうチャレンジしていた同級生が多かった。 姉さんもチャレンジして、タダでさえぷっくりした唇をさらにたらこに増し増したとかいってたっけ...(遠い目)。
そしてこちらが当時三年間通った足利学園中等部の跡地。
いまや白鳳大学足利高等学校となっている。
当時中等部の校舎があった場所は、いまはなんだろ?給食センター?倉庫??みたいな平屋の建物になっている。 では一体中等部はどこにいってしまったのかっ!?!? というと、
なんと、通りの向こう側。 当時は、足利市立の東小学校だったところが、そうらしいのだ。
こちらが旧足利学園中等部、いまや白鳳大学足利中学校になっているのである。 30数年の間に、児童減少で東小は統廃合にでもなってしまったのだろうか? ボクがいた頃は1年から3年まで2クラスづつしかなく、コンパクトで行き届いた教育・指導がウリの進学校だったが、こんな立派な校舎になって、学生数も増やしたんだろうか?
ボクらの頃は専用の校庭もなく、体育の頃は高等部の校庭か河川敷まで移動しなきゃイケなかったのに比べて、校庭もあり、体育館もあり、ずいぶん環境は整った感があるね。
そんな衝撃の新校舎の事実を知った後は、学校帰りの塾へのルートをなぞることに。
この辺は正直寂れ果ててる感じ。 ところどころ、この手の寂れ感をウリにしてそうな建物もあるけど、どこも蔦が絡まりまくって放置されている物件が多い。
中橋通りまで出て、右折。
これはJR両毛線の線路。 この辺は東武線もJR線も単線なのです。
中橋通りとJR足利駅前通りの交差点。 このいぶきさんのビルには当時ケンタッキーフライドチキンが入っていて、学校帰りの塾の前に腹ごなしをする貴重な場所だった。 チキンフィレサンドが初めてメニューに加わり、感動したのも遠い想い出...(遠い目)。
中橋通りを北に進むと、すっかり忘れていた利性院閻魔大王の鳥居!?
中学で足利に通う以前にそもそも父方は足利の出身だったため、モノ心付く頃から足利でよく遊んでいたのである。 この劇場通りの東映映画館もその中の一つ。
当時はキラキラしていて文化文明の匂い沸き立つエリアだったのに、いまやこの変わりよう...(遠い目)。
時代の流れって恐ろしいモンだなぁ〜。
中学、高校とほぼ6年間通った塾もこの辺りだったろうか? と路地裏に入り込んでみる。
当時の民家でゴミゴミした状況とかなり変わっていて、所々歯抜けのように空き地があり、薄暗かった路地裏も明るく感じて、なんか印象が変わっているものの、たしかにこの辺り。 今となってはじゅうぶん古民家のこの建物も、使っていたような無いような...(^^)ハハハ。
その塾の名前は赤門進学塾。 今現在は足利市駅南口の立派なビルで赤門セミナーとして営業しているが、35年前の当時はこの辺の民家を使って塾を経営していたのだ。 おそらくこの空き地のあたりが一号館だったような気がする。 一号館の玄関を入ると、目の前に黒板があり、「その日の何時から何時までは〇〇先生は〇号館のどこの部屋」というのを確認して、自分の担当の先生の部屋に行くシステムだった。
この赤門進学塾は足利学園中等部と共に、当時のボクの精神形成常多大なる影響を及ぼす経験をさせてくれた場所だと思う。 進学塾の名の通り、確かに年明けの受験前の100日特訓コースとか、けっこうスパルタなメニューもあったのだが、高校受験の時にしろ、大学受験の時にしろ、ボクはこの進学塾へ受験対策的な目的で通っていた記憶がない。 赤門というこの塾が不思議だったのは、古民家のようなところで授業をしていたというイメージもあるのかもしれないが、ボクにとっては寺子屋的な存在に感じていたのだ。
赤門の名の通り、先生は現役の東大生&東大院生が多く、そのほか筑波や一ツ橋の国立大の先生、そして都内の私大では早稲田や慶応の先生が占めていたと思う。 そんな現役の大学生が、わざわざ東部伊勢崎線に揺られて、田舎の足利の進学塾に教えにくるのである。一体どういうツテで釣ってきたのだろう?と当時まだピュアだったボクはそこまで勘ぐった見方はしていなかったが、赤門での思い出というと、授業のことよりも、そんな現役大学生が話す、都内のキャンパスライフのことばかりである(笑) そんな先生たちの面白そうなキャンパスライフを聞きつつ、HOTDOG PRESSやPOPEYEの恋愛特集のネタを本当かどうか先生に聞きながら、東京への思いを日々募らせていたのである。 すでに受験戦争の名の下に厳しくはあったが、今と比べてまだ随分とのんびりとした教育現場で、自由気ままに過ごさせてもらったという感が否めない...(^^)ハハハ。
そんな赤門進学塾界隈も人もいなくなり、人がいなくなった古民家は廃墟のような雰囲気に。
なんか切ないなぁ〜と思いつつ、中橋通りに戻り鑁阿寺方面へ。
この空き地のスペースにも赤門の離れがあり、おそらくここの教室に一番通ったのではあるまいか? いまや、ここにも当時の建物はない...(; ;)ハラリ。
なんといっても、ここでの思い出は鑁阿寺のお堀のここから、授業の合間の休憩時間になると黒板の短くて使えなさそうなチョークを持ち出して、鯉に喰わせていたことだ...(^^)ハハハ。 食いつきが良すぎた鯉は何か投げるとなんでも構わず吸い込んでしまい、チョークだろうと何だろうと御構い無し。 それを見てキャッキャキャッキャと残酷な笑い声をあげていた中坊の一人である。 ごめんなさいm(_ _)m
こちらが、室町幕府を開いた足利氏の菩提寺である鑁阿寺の山門。 今も昔も足利市内の観光名所の一つである。
山門をくぐって本堂の方へ。
北関東のこの辺は4月中旬のこの時期でもまだなんとか桜が残っているところも。
本堂に向かう手前に売店で気になる看板が。
先ほどの足学中の手前のエピソードで、ポテト焼きそばを紹介した通り、当時は普通のことだと思って食べていたポテト焼きそばもいまや、B級グルメの一つである。 それと、これもケンミンショーとかで紹介されたと思うが、長らくボクのシュウマイに対するトラウマとなっていたのが、この足利シュウマイである。 そもそも昔は『足利』なんてわざわざつけていなかった。ただのシュウマイである。 このシュウマイが何故トラウマと化したかというと、この足利シュウマイなるものは、いわゆる崎陽軒に代表される中華の焼売とは似もせず、非なるもので、シュウマイの皮の中に玉ねぎのみじん切りを片栗粉で固めたものを蒸しているだけの代物なのである。それをソースで食うという…。 子供ながらに一口食べた時の、鼻腔に抜ける玉ねぎとソースのツンとくるダブルパンチがいたたまれず、以来崎陽軒のシュウマイ弁当に出会うまで、シュウマイはボクにとってのトラウマと化したのだ。
そんな足利シュウマイ、オススメはしないが勇気ある方はどうぞ(笑)
ということで、ようやく本堂へ。
これは枝垂れ桜ですかね?まだまだ綺麗に咲き誇っておりました。
この日は春らしいご陽気で。
本堂の傍で排水路?にだけ架かる小粋な石橋を発見っ!?
この後は足利学校に向かおうかと思い、東門を抜けるとお堀はみごとに桜の花びらの絨毯が。
一週間くらい前に訪れたら、ソメイヨシノが綺麗だったんでしょうねぇ。
鑁阿寺山門前の参道を歩いて行くと、
南に向かって右側に足利尊氏公の銅像が。 でも、この足利は足利氏発祥の荘園ではあるものの、実際に足利氏がここをどうこうしたということはないんだよね。 鎌倉幕府の御家人時代は鎌倉だったろうし、室町幕府は京都だったわけだし。 とはいえ、鑁阿寺は菩提寺なんで、亡くなると位牌とともに足利に奉られると。
参道を歩いているとこのような標識が。 なかなか風情ございます。
標識通りに足利学校に向かっていると招き猫さん。 きみ、なに思う??
そして、日本最古の学校といわれている足利学校! でも、昔はこんな風に整備されてなかったんですよ。 1991年にNHK大河ドラマで『太平記』が放送されてから、ドラマでのセットともにこの辺りの整備が進んだんですね。平成の最初の頃の話。
『入徳』!
中に入ると残念な事にこの日は休館日…(TT)涙。
でも、そんな休講日にも拘らず健気に通学中な三毛猫さん発見っ!?
どこまでいくんだろう?と見ていたら、閉まっている門には向かわずに脇の植え込みから不法侵入!? 学業熱心な三毛猫さんでございます。
中に入れないんで、外から足利学校の建物を。
とりあえず、JR足利駅に続く駅前通りまで出て、目指すところは丸金餃子!!
そう、実は巣鴨でファイト餃子に出会う前から、巣鴨のファイト餃子と金沢の第七餃子って同じホワイト餃子の手の者なのね!と気付く前から、ボクは丸くてモチカリっとしたホワイト餃子のことを知っていたのですっ!! 詳細は別エントリーにて(笑)
丸金餃子で思う存分ホワイト餃子を堪能した後は、まずはJR足利駅に向かいます。 ここから両毛線に乗って小山の方へ行こうかと思ったものの、いやいやまだ行けてないところがある!と。
両毛線の線路沿いを歩いているとこれもいちいち懐かしい鉄条網。 昭和の昔ってこのての鉄条網っていろんな所にあったよね。
両毛線にかかる高架を上がっていると、突然この光景で思い出したことが。 中学時代、そんなに風紀に厳しい学校だった感じはなかったのだが、一度だけなんであんなに怒られたんだろうか?ということがあったのだ。 何きっかけだったかは忘れたものの、髪の毛チェックで耳に髪の毛がかかっているということで、すぐさま髪切って出直して来いっ!!という当時の教頭だったかの大噴火があり、クラスの何人かでどこの床屋で髪切ろうか?変な髪型にはしたくないしとか言いながらこの高架を渡って、街中へ向った記憶を思い出したのである...(^^)ハハハ。
再び渡良瀬川の土手に出て中橋を望みます。
今度は中橋から渡良瀬橋方面へ。
中学高校時代にはなかった、森高千里の渡良瀬橋の歌碑。 一度見てみたかったンですよねぇ。
ホントに渡良瀬橋の歌碑があったんだ...(^^)ハハハ。
この歌碑の左側のポールにボタンが付いていて、ボタンを押すと渡良瀬橋♪の森高千里が歌う音源が流れてきます。
これ、近所の人は五月蝿いんじゃなかろうか?(笑)
そんな渡良瀬橋歌碑の裏側の公園ではまだソメイヨシノがなんとかへばりついておりました。
そんなこんなな渡良瀬橋。この橋は歩くよりもどちらかというと車で通り抜けることが多いんですよね。
渡良瀬橋の歌碑を確認して、次のスポットへ向かう途中。 土手のところでこんな素敵な食堂を発見っ!? これは絶対にうまそうな予感。今時、ハンバーグとしょうが焼きを堂々と推してくる食堂なんてないでしょう!と。 でも、丸金餃子でお腹が満ち溢れているこの時はとてもじゃないですが、入る気力も無いのでした...(^^)ハハハ。
なんかこの辺も寂れ尽くしておりますが、再び両毛線の踏切を渡ります。
行ったり来たりが激しいですねぇ。でもこの日、全然踏切で電車が通る光景に出くわしませんでした...(^^)ハハハ。
観光スポットの一つでもある織姫神社に向かう手前で、お土産やさんなのか、雑貨屋さんなのか、やる気があるのか無いのか、不思議なお店に出くわしました(笑)
縁結びの神さまでもある織姫神社。 そもそも足利って織物で有名だったところなんですよね。 うちの亡き祖父も体が動いているうちは染物職人で、この界隈で働いておりました。
かなり久々なんで、参詣しようかと思い立ったのが、地獄の始まり...(; ;)ハラリ。
石段を登り始めてから気がついたんですが、この織姫神社の石段はかなりキツイのです。
途中で『猪出没ちゅうい!!』とかなり田舎らしい看板も(笑)
一気に本堂まで駆け上がるには歳を重ねすぎたんで、途中で休憩。 振り返ると足利市内の光景が広がります。
なんやかや死にそうになりながらも、なんとか到着。 そういえば、織姫神社での思い出といえば『織姫星パンティ』!? 最初のところで触れた足利市駅の売店で、毎日にようにお菓子を買っていたワケですが、誰もが目にしながらも誰もがそこに触れなかった商品が『織姫星パンティ』なのです。 駅の売店の横に『織姫星パンティ発売中!』とのポスターが常に貼ってあったわけですが、その実体を見たものは誰もいないという、足利の謎のお土産。 それが『織姫星パンティ』!! 今は亡き、その織姫星パンティの情報をお持ちの方は、ぜひご連絡ください(笑)
そんなアホなことを思い出しながらも、なんかこんなピーカンな空を見ているといろんなことがどぉ〜でもよくなってまいります。
登りの石段でもはや膝が笑いっぱなしな中、帰りはそろりそろりと降りていくと、不思議な色合いの鳥居が。 緑や黄色、紫なんてもんもありました。
なんとか石段を転げ落ちずに下まで着き、これは後々えらい事になりそうだという思いと、登り切った達成感で妙な高揚感とともに、織姫神社を後にします。
帰りも渡良瀬橋の土手を眺めながら。こういう昭和な長屋の光景って今となっては貴重だと思うんだけど、でも人がいなくなるとすぐに空き地になっちゃうんでしょうねぇ。残念です。
森高が歌った、夕日が綺麗な渡良瀬橋からの眺め。 まだ夕日の時間帯では無いですけど...(^^)ハハハ。 この中央部に見える山は、我が故郷太田市の金山。 鎌倉時代から南北朝時代にかけて、足利氏と同じ源氏の血筋としてライバル関係にあった新田義貞の新田氏の居城があったところです。 でも、ただの田舎侍だった新田氏は鎌倉幕府の重鎮でもあった足利氏に軽くいなされちゃうんですけどね...(^^)ハハハ。
そんなこんなで渡良瀬橋、さようなら。また会う日まで。
渡良瀬橋を渡って、駅の方に向かうとこれもまた懐かしい、スターレーン! ここは変わってないなぁ〜外からの見た目は。 とにかく娯楽がない当時の田舎の子が集うのはボーリング場なのでした(笑)
そして、その先には寺子屋から立派なビルの進学塾になった赤門セミナー! 名前も変わったんですねぇ〜。 なんか、塾というよりも今風な予備校みたいです。
そんなこんなな中高時代の足跡を辿る足利の旅。 今思うと、35年前の足利の方が今より全然栄えていたんだなぁ〜となんか切ない思いでいっぱいです。 これが地方の現実なのかと...(遠い目)。



































































































