SAY SILLY THINGS!

“TEAM H末端構成員”が妄想と現実の狭間で戯れます。

久々に水窪川暗渠を水源の美久仁小路から神田川との合流地点の江戸川橋まで、正味4kmをブラりお写ン歩でございます。

iPhoneの画面に写真のウィジェットを設定しているんですが、12月の中旬くらいからこちらの写真が定期的に表示されるようになりまして。

これ雑誌『東京人』の表紙にもなった水窪川暗渠の写真なんですよね。
そぉ〜いえば、水窪川暗渠辺りは何度もお写ン歩してるのにこの場面は一度行ったっきりで全然みてないな???
ということに気づき、久々に水窪の水源から神田川に合流する終着点まで一気にお写ン歩することになりました。

まずは水窪の水源に向かいます。
こんな池袋の街中が実は水窪川のスタート地点となるのですっ!?

池袋東口にいまだに残る貴重な横丁の『美久仁小路』の一角にフェンスに囲まれたお店の跡地か?と思われる空き地があるんですが、特に水窪川の謂れに触れられるでも無く、かといって新たなお店が建つことも無く放置されっぱなしで幾星霜...(^^;)ハハハ。
こちらが水窪の水源とされているようです。

美久仁小路の一角から沸き上がった水窪川は南へ向かって流れていきます。
途中日出町公園にそれらしきモニュメントっぽい川の造形があるんですが、ここでもなぜか特に水窪について触れられてはいないんですよね。
なんか不思議...(^^;)ハハハ。

こちらの串カツ田中の左側の路地から暗渠らしい光景が続いていきます。

この辺は本ブログで何度もアップしてますが、東池袋四丁目〜五丁目辺りの裏路地の広場が連なるエリア。
こちらは日光広場と呼ばれております。

途中都電荒川線の線路を跨いで進んでいきます。ホントはこのトラックが止まっている左に向かっていくのが本来の川筋のようなんですが、ちと回り道したいところがあるんでいつもここで線路を渡っていきます。

回り道したかったのはこの太陽広場を通っていきたかったから(笑)
この辺りに点在する広場では一番新しい広場ですね。数年前まで名前も付いていませんでした...(^^;)ハハハ。

東池袋五丁目の川筋を進んでいきます。

すると2023年、コロナ禍が明けるとともに整備されてすっかりと変わってしまった富士山広場
もはや以前の面影は富士山のフェンスしか残ってません...(TT)涙。

しかしっ!?
実はこの富士山広場にだけなぜかここに水窪が流れていたという謂れが残っているのですっ!?
富士山フェンスの右の裾野のところに小さい黒いモノが見えると思いますが、これが『水窪川の碑』なんです。
なぜかこんなところにだけ、その名を刻む『水窪』!?何故ここなのか、その真意はわかりません...(^^;)ハハハ。

そんな富士山広場の前の旧的場邸もすっかり取り壊されて敷地全体が綺麗さっぱり更地化されてしまいました。
そんな旧的場邸の脇を水窪は流れていきます。

途中、こんなほぼ私有地じゃね?というところを抜けていきます(笑)
ここも川筋(笑)

この辺りはかなり川筋も狭くなっていきますねぇ。

さらに西側の脇路地はどこもかしこもこんな感じで階段路地か、坂になっています。
ちょうど台地の脇に沿って流れている感じです。

こことか好きなタイプの階段路地(笑)

この階段路地の上にはなぜか上にあるのに大塚坂下公園があるようで(笑)

開運坂の交差点でちょっと解りづらくなりますが、通りを渡って奥の路地に入り込みます。
Googleマップとか見てるとだいたい暗渠の川筋ってウネウネしてるんで、整備された街道筋が途中横断していてもその先のウネウネと繋がってます(笑)

そんなウネウネの続きをさらに進んでいきます。

するとこちらが『東京人』の表紙を飾ったポイントとなります。
ちょうどポポー広場の手前と行ったあたりでしょうか。
つづら折りあり』の標識がいぃ〜按配です(笑)

ポポー広場を越えて進んでいくと、急に川筋が開けていきます。

この道筋にはまるで本郷のような木造の二階建て長屋が残っていたりします。
二階建て長屋に階段路地って、ボクみたいなヘンタイにはたまらないシチュエーションでございます(笑)

この辺の木造モルタルのアパートの類もたまらない風情を醸し出してますよねぇ〜。

こちらの吹上神社の辺りで、鳥居の先からまた暗渠のルートが続いてるので鳥居をくぐって、

もぉ〜まさに川筋!というくらいに解りやすいウネウネの暗渠道を進みます。

すると右側はもう護国寺の敷地。

護国寺を過ぎて音羽二丁目に入ると見たことある光景が続いていきます。
この辺ももう何度も本ブログで紹介しているエリアですね。
まずはお茶の水女子大の西門

こちらも文化遺産並の青トタンの家。
いつまでも無くならないでいて欲しいモノでございますが、この暗渠沿いもコロナ禍が明けて建物も解体とかが始まっているんで、今まであったモノがいつ無くなるか解らない状況です...(TT)涙。

左側は音羽の台地。この台地の脇に沿って水窪は流れていきます。

するととある一団には聖地でもある音羽一丁目!

かのチョートク翁こと田中長徳氏が産湯に浸かったところがこちらのマンホールの辺りでございますm(._.)m

そんな聖地の先はこちらの鳩山会館の敷地に遮られてしまうので大きく迂回します。

迂回してまた川筋に戻ると、不思議なことにこんなマンションの奥にお稲荷さんのお社があったりします。
とくにGoogleマップ上になにも記されていないので、個人的なものなんでしょうか?

そして音羽の鎮守の杜である今宮神社...(-人-)合掌。

後もう少し台地の脇を流れていきます。

前回の音羽詣での際にも触れましたが、ここの湧き水はすっかり涸れてしまったんですかね?
この日も枯れッ枯れの洗面器がポツンと置かれただけでした...(TT)涙。

そんなこんなで川筋として目検出来るのはここまででございます。
これから先は完全に道路に塞がれてしまっており、

こちらの光文社ビルの下から神田川に合流して終着点となります。

そして江戸川橋を渡って、ボクは有楽町線で池袋まで帰ったのでした。
久々に正味4kmほどの行程をお写ン歩しましたが、結局水窪川暗渠の前半の東池袋4〜5丁目あたりと後半の音羽一丁目辺りは良く歩くのに、あいだをほとんど歩いてなかったんだなと改めて解りました...(^^;)ハハハ。