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『アウトライン・プロセッシング入門』Tak.読了!☆☆☆

アウトライン・プロセッシング入門: アウトライナーで文章を書き、考える技術

なにがしか『書くこと』に興味がある方にはオススメです。

目から鱗の書籍である。といってもすでに数々の書評がNETに上がっている通り、現在本書を手に取るのはまだマニアックな人がおおいのではないだろうか? 倉下さんのR-Styleでは早々に書評が上がっている。

しかし、アウトライナー自体はマイナーかもしれないが、本書は文章を書く人、いや考える人、万人に一読を勧めたいモノである。 内容としてはアウトライナーを活用した文章法といったモノかもしれないが、その内容は内なる思考を外部に吐き出す=文章化を図るにあたって、『文章を書く』ということはどういうことか?というところまで踏み込んでいる。

『書く』ということと『考える』ということ。一つのプロセスのようでもあり、別々のプロセスのようでもある。だからこそ、ツールとの組み合わせが解りづらい。 その一つ、著者が愛用する『アウトライナー』というツールを活用した思考をフロー化してリニアに繋ぐ(=文章化)を実にわかりやすく解説してくれている。

アウトライナーへの憧れと誤解

まずはじめにボクのことでいうと『アウトライナー』というソフトは昔から憧れているものである。 なんといっても別名『アウトライン・プロセッサー』。なにやらネーミングからしてかっこいい(笑) 『プロセッサー』である。 乱暴な言い方をすると、テキストをインデント付けながら書いていくツールなのだが、『アウトライン』を『プロセス』するツールなのである。

出自が文系SEなボクとしては、文章なのになんか開発チックな妄想を『アウトライン・プロセッサー』に対して勝手に抱いており、バージョン2くらいからOmniOutlinerを導入していたにも関わらず、まともに使いこなせていなかった。 本書を読んで改めて認識を正したというか、正された、目が覚めた、瞳孔が開いた点は以下の2点。

アウトライナーワープロソフトの役割の違いを認識していなかった。

まず一点目は、マニアックな方々には呆れられるかもしれないが、ボクは明確にアウトライナーワープロソフトの機能的な違いをわきまえていなかったのだ。 どちらも『文章を書くソフト』という点では同じようなものである。が、ワープロソフトは最終的に印刷される完成形の状態で見栄えに重きが置かれるモノであることに対して、アウトライナーはその印刷物の要素である文章を書くためのソフトであると。 だったら、テキストエディターとアウトライナーのなにが違うのか?その辺で、このアウトライナーを取り扱いがよく解らなかったのである。

ボクには、アウトライナーの重要な役割である『考えながら書く』、『書きながら考える』ことを支援するツールであるという認識が無かったのだ。

アウトライナーとは目次=見出しを固めて文書構造を決めてから書き出すモノという誤解

もう一点は、アウトライナーとはロジカルな文書を作成するために、目次=見出しを整理してから内容を埋めていくためのモノという認識だった。

アウトライナーの使い方というよりも、文書を作成する上でよく指導されることにまず見出し・目次を整理するというアプローチを推奨される。 ロジカルライティングが流行った辺り以降からだろうか?やたらと社内でも研修や職場でよく言われたことだ。まずは目次を作って持ってこい!

たしかに、これも一つの文章法である。本書でもプロダクト型アウトライナーということで一つの形式として紹介されている。

『これに対して、2ペイン方式のアウトライナーや、本文と見出しを区別するタイプのアウトライナーを「プロダクト型アウトライナー」と呼んでいます。アウトラインをプロダクト(完成品)の骨組みと考え、組み立てて行く使い方により適しているからです』

しかし、このやり方がどうにもこうにもボクにとってはストレスでもあり、怖くもあったのだ。 それはなにかというと、最初のうちにすべてを把握しておかないと『もれ』が生じるということへのストレス。 それと『見出しに制限されてつまらない文書になってしまう。『思考の枠が限られてしまう。』ということへの恐れである。

マインドマップも同じ。 センターイメージから引かれる最初のブランチで要素が出し切れないと、ロジックが破綻することへのストレス。

また当然のように、せっかく時間をかけて見出しを整理したと思っていたのに、いざ本文を書き始めるとやはり何処にも入らないようなセンテンスが沸いてくるのである。 それをいちいち見出しを再整理して見直す苦労を考えると、とりあえず今ある中に無理矢理入れ込むか、捨てるかという逃げの姿勢になりがちになり、挙げ句の果てに書き終わった文書を見ても、つまらないことこの上ないと…(^^;)ハハハ。

だったら、思うがままに書けばいぃ~ンじゃん?と開き直ると今度はなにが言いたいのかわからない文書に仕上がるということになる。 妥協するにも妥協点が見いだせないまま、満足いかないものを発出するくらいなら、最初からしっかりと見出し・構成を考えなければ!とまた始まりに戻り余計なストレスを自身に強いることになるのだ。

これに対して本書のプロセス型アウトライナー=生きたアウトラインを作成するというアプローチ、

考えてみると、文章を書くということは「構成・流れを組み立てる」ことと「個別のフレーズを考え、滑らかにつなぐ」ことという、まったく異なる作業を同時にやっているわけです。これは頭にとってはかなりの負荷です。
「生きたアウトライン」が画期的だったのは、文章を書きながら同時進行でアウトラインを作れることです。そして後からいくらでもアウトラインを修正できることです。つまり「考えてから書く」のではなく「考えながら書く」、あるいは「書きながら考える」ことが可能になったのです。

このことにより頭で『考える』ということと手を動かして『書く』という行為をそれぞれ分割させたり、同時に行ったり、自由に行き来させることを可能とさせるということに今さらながら目が鱗だったのである。

まとめ

このアウトライナーというモノは必ずしも完成させるためのモノでは無く、あくまでプロセスを扱うツールであということ。 そして思考は立体的、文章は一定の方向に流れ続けるリニアでフローなものであるということ。 3Dのものをどのように2Dに展開するか、これを支援するツールだからこそ『アウトライン』な『プロセッサー』なのであるということが本書を読んでストンと腑に落ちた。

マインドマップもしかり。マップ上は自由に表現可能だが、各ブランチを他者に説明するとなるとブランチ間のロジックを文章化しなければならない。 その行為において、ボクはプロダクト型アウトライナー的アプローチをしていたため、先々のロジック破綻が怖くて最初のブランチが決められなかったが、プロセス型アウトライナーのアプローチで後から組み替えていくことで、より自分の思考をわかりやすくマインドマップ化させることも可能に思える。

とりあえず、本エントリーはあまり流れを考えずに最初に頭の中の文章を一文毎にただOmniOutlinerにベタ打ちして、その後に並べ替えて見出し化をおこなってまとめてみた。 ただ単にブログのエントリーを赴くままに書くことよりもまだ時間がかかるが、この『書く』と『考える』という行為を明確に分けたり、『書きながら考える』『考えながら書く』と同時に行ったりといろんなアプローチを一つのツールを使って実現させるということが出来るとは、アウトライナーのイメージが全く変わってしまった(笑)

アウトプットの中身がどうこうというよりも、『自分の思考をとりあえずなんでもぶち込んで、後で溜まった文章を吟味して整理して、考えをその中に見つけ出す』という実験がなにやら個人的にオモシロそうになったンで、当面はOmniOutlinerに言葉の断片を何でもかんでも打ち込んで、自分の脳味噌の中身を覗いてみるのもいいかも(笑)