SAY SILLY THINGS!

“TEAM H末端構成員”が妄想と現実の狭間で戯れます。

『夫』という立場はもはや幻想でしかないのだろうか?

Husband & Wife Walk . . .  (to divorce court)

ちょっと前のニュースになるが、こんなニュースがあった。

「トイレが臭い」激怒-大田区で殺人未遂事件、間宮依美を逮捕=夫を包丁で切り付け

日頃から夫婦喧嘩が絶えなかったという環境ではあるモノの、『トイレが臭い』で切りつけられてはたまらない。 その前段、トイレに行って手を洗わずに子供に触れたというところでこの容疑者の妻はカチンと来たようではある。 ボクも、トイレに行ってシッコスであろうがウンチョスであろうが、し終わってから手を洗わない輩は信じられない。 会社ではけっこう若かろうがお年を召していようが手を洗わない輩がいるのです。

しかし、こんなこと気にするのも日本人特有の潔癖さだからな部分もあるのだろう。 人間はばい菌だらけの外気に当たっても、免疫機構で防いでいるわけだから、トイレで洗わない手で自分の子供を触ろうが、死ぬわけでは無い。

だから、やはりそれほどのことでいちいち包丁振りまわされてはたまらないと思うのだ。

こんな事件、夫婦関係を垣間見るとふと思ってしまうのである。 いったいいつから『夫』と言うモノはこれほどまでに存在が希薄になってしまったのだろうか?

一昔前の家父長制に基づいた尊敬、敬意、畏敬、畏怖の念を持って夫に接しよっ! と大時代的なことを言うつもりは毛頭無い。 良かれ悪しかれ、多かれ少なかれ、なにがしかのきっかけがあってこそ『夫婦』という形態が成り立ったのだと思うのである。 ナニも無いまま、赤の他人が一つ屋根の下で暮らし、子供まで授かるわけが無い。

それとも、やはり『夫』という存在は自分の分身であるブルブルした精子が、それこそ生死をかけた大冒険の末に、自分自身の大きさの10万倍の大きさの卵子に這々の体で辿り着いて飲み込まれたところで終わってしまうのだろうか?

生物学的には♀としては♂の優性遺伝子を受け継いだ次点で♂には用は無いはずである。経済的な面を除けば。 となると、恋愛時代の『彼氏』は結婚すると『夫』となり、子供が出来たところで『父』となるのだっ! とただ平然と構えていては、馬鹿を見ることになる。 場合によっては『妻』としては子どもができたらもぉ~精子生産工場には用はないのっ!フンっ!!と思っているケースも無きにしも非ずなのだ。 今回のこの事件のケースもそうなのかもしれない。遺伝子をもらって子作りした以上、もはや♂には興味が無い。 あとは♀という生物の特性上、我が子をあらゆる危険から守り、育て上げることにすべての注力が働いた結果が『トイレが臭いっ!!!死ねっ!』なのではあるまいか???

そんなことを妄想しているうちに、我が家であったら命がいくつあっても足りないことよのぉ~~。 と思い、身震いで夜も安心して眠れない今日この頃なのである。 まず第一にボクにはタネがない。いろいろと試したがこればかりはどぉ〜にもこぉ〜にもなのである。 なので『夫』としての役割は果たせるが、申し訳ないが『父』は望めないのである。ということは生物学的に♂としての役割が果たせないのである。 ある意味『夫』→『父』になれないが故に一歩手前で踏みとどまっているからこそ生存できているという言い方も出来るのかもしれない。

しかし、年月を重ねるに従って中年そして壮年と身体は老化が進んでいくのである。 当然のことながら、トイレは臭い(笑) 人間のウンチョスというモノは赤ちゃんの頃臭く、それが性徴期を経て青年期までの間は落ち着いて、三十路を過ぎた頃身体の成長がピークを迎え、衰退に入る頃からまた臭さが増すとボクは仮定している。 歳とともに腐臭エキスでも混入しだすのであろうか? 三十路過ぎ、同様に枕が臭くなる。 耳の後ろあたりから華麗なる加齢臭が匂い立つ年頃が三十路過ぎ辺りである。 枕が臭くなり、寝室がオッサン臭くなっていくのである。 四十を過ぎた頃からは鼾である。 仕事も脂がのりきり、とにかく一番働かざるを得ない働き盛り、へとへとになって我が家に帰り、ベッドに寝転がるとたちまちの大鼾。 人によっては歯ぎしりもあろう。これが度が過ぎると無呼吸症候群に陥るのである。

ボクの場合もご多分に漏れず鼾がスゴいらしい。 鼾に限らず、寝言、寝歌、寝蹴りとベッドの上の無意識下において、ボクは相当傍若無人に振る舞っているらしい...(^^;)ハハハ。 これだけのことで、ボクは何度うちの相方さんに殺されることであろうか。 それにもかかわらず、いまだかつて殺されかけたことが無いのは奇跡である。

身体の老化にともなう腐臭に限らず、日中においてもボクはうちの相方さんの不興を買っている。 なによりうちの相方さんにチョッカイを出すことにいまだに今生の悦びを見出すボクである。 ことある毎にチョッカイをだす。 レベル的には小学生が好きな娘のスカートめくりをする心境となんら変わらない。 そんなボクのちょっかいを受けては、サラッと受け流すほど器用では無いうちの相方さんはいちいちストレスを感じるようである。 だったら、やめればいいのにやめられないのがボクの幼さだと解ってはいる。 が、どぉ〜しても理性より先に手が動いてしまうのである...(^^;)ハハハ。 これはおそらく関根勉の『奥さんに永遠の片思い』と同じ心境である。 ボクがいかほどうちの相方さんへの迸る愛情で身を焦がしているかなど、永遠に理解してもらえないのだ。きっと...。

日常的にこんなことを繰り返すボクであるがゆえ、この事件の容疑者のような妻であったら、ボクは何回刺されているだろうか。 おそらく、とっくの昔にこの世から抹殺されているはずである。

そんなことを考えると、昔から言われている『恋は盲目』とか、DR.倫太郎も『恋愛とは一過性の精神疾患である。』と言っているように、夫婦生活において『恋愛感情』と言うモノは非常に重要な要素である。 コレがなかったらボクはいくつ命があっても足りないであろう。 うちには子供が居ない分、どれだけこの『恋愛感情』の引き延ばしを図れるかがボクの命を繋ぐ命綱となるのである(笑) 願わくば、ボクが無事にこの世の生を全うするまでうちの相方さんには一過性では無く永続的に精神疾患状態でいてもらいたいモノである。