SAY SILLY THINGS!

“TEAM H末端構成員”が妄想と現実の狭間で戯れます。

花粉症、身体が老いると、治るかも。

preparing to fever in Japan

早いモンで、暦の上で3月ともなると真冬の厳しさは峠を越えて、日に日に春が近づいてくるのである。 少なくとも、ここ金沢では北陸新幹線開通に伴い『新幹線が春を連れて、やってくる。』と駅の鼓門にでかでかとコピーを掲げているんで、3月14日からは春なのである。

しかし、この『春』という季節。 世間的には生命の息吹が芽生えはじめ、ソメイヨシノにかこつけてお酒を飲む機会が増えたり、新学期や新生活を迎えるといった非常に前向きで、地に足付いていないワクワク感に充ち満ちた浮ついた待ちに待った季節といった感がある。

ボクにとっては長年この『春』という季節ほど忌々しぃ〜季節は無いのである。 原因はただ一つ。ボクは『花粉症』だからだ。

だいたい、タイミングが悪いことに2月のボクの誕生日が過ぎる頃に杉花粉は中を舞い始める。 いつの日かあれほど待ち遠しかった誕生日が、花粉のせいでイヤな思いが先立つような季節となってしまったのだ。

今一度いう、ボクは春なんて大っ嫌いだっ!!!と。

先日、四人に一人は『花粉症10年選手』という記事をみた。 10年なんてまだまだ青臭いモンである。 ボクなんかかれこれ30年選手である。ソロソロ引退してもいいくらいのロートル選手なのだ。

思い起こせば、幾星霜......。 それは突然訪れた。 発症したのは中三の修学旅行での京都の旅館。 夕食を食べて、自分の班の部屋に戻ってこれからどこに抜け出そうかと構想を練り始めるやいなや、鼻の穴から水のような液体が次から次へと流れ出し始め、くしゃみが止まらない...。 ボクは体中の体液が流れ出てミイラ化してこの古都京都で生涯を閉じることになってしまうのでは無いかと一人恐れおののき、起きていると鼻水が垂れる一方なので、出かけることも出来ずひとり布団に横になり、即身成仏化の恐怖と戦っていたのだ...。

これがその後四半世紀にわたる春の戦いの始まりとなった。 修学旅行で即身成仏すること無く無事に帰ることが出来、当時花粉症の診断などまだ聞いたことも無い中、内科でまず実施したのがアレルギー診断。 結果、杉、ブタクサ、ハウスダストをはじめとする5種類のアレルギー反応が出た。

アレルギー体質を改善するには、定期的にアレルゲンを注射し、徐々に身体に耐性をつけていくしかないとのことで、以降大学で上京するまでの4年間、毎週のように体質改善の注射を受けに行くような過酷な日々を続けたのである。

毎年毎年、春が来るたびに治ったか?治ったンか??と期待しつつも毎年発症する花粉症...。

結局、上京してからは体質改善もアホらしくて受ける気がせず、そのまま市販の花粉症の薬で過ごすことにした。

こんな生活をくりかえすこと四半世紀、すっかり嫌いな季節は『春』、好きな季節は『秋』という人生を送ってきたが、昨年から少々事情が変わったのである。

まだ都内で生活していた昨年の春、花粉症らしい症状は一日だけだったのである。いつものように鼻がムズムズし始め、鼻水が垂れてきてこれは今年も始まった!と思いきや、翌日にはムズムズも止まり、通常の日常生活に戻っていたのである。

昨年の春を迎えるまでに特に特別な治療をした覚えも無く、体質改善の薬を飲み続けたわけでも無い。 不思議なことに、ある日突然訪れたこの試練が、ある日突然終了していたのである...。

いやいや、あれほどボクの人生を狂わせた悪魔の花粉症がそうそう簡単に退治されるわけが無い。来年はまたいつものような地獄の春が始まるのだ。 たまたま今年は花粉症の調子が悪かったのだっ!フハハ。 と、良いのか悪いのかいつもの調子と違う体調に逆の疑念を抱いたボクは、花粉症に疑心暗鬼に陥っていたのである。
そして、また一年過ぎて今年の春。場所は都内から金沢へ。 関東と北陸の環境の違いはあれど、いちおう北陸地方でも花粉情報が出回るくらいなので、それなりに花粉が舞っているのであろう。

しかし、昨年と同様に誕生日が過ぎてもボクの鼻はなんの兆候も示さない。 ムズリとすらしない普通の鼻なのである。 これはもはや、本格的に治ったのであろうか? 四半世紀ボクを悩ませ続けてきた春の悪魔の呪縛からボクは逃れることが出来たのであろうか??

しかして、そのワケは? 思いつくのは年老いてアレルゲンも反応するのが億劫になったということくらいしか思いつかない...(^^;)ハハハ。 花粉症のみなさん、若いうちは辛かろうとも、歳をとったら身体も萎えてムダな抵抗をしないようになるんで、花粉症が治ることもあるかもしれません。

果報は寝て待てっ!!!