SAY SILLY THINGS!

“TEAM H末端構成員”が妄想と現実の狭間で戯れます。

うちの子よその子問題に関する現在の考察

Coaching

以前から書こう書こうとしているうちになかなか考えがまとまらず書けないでいたら、もぉ~金沢から都内に戻らなきゃならない時期になってしまっている……。 いかん!いかん!!と。

以前ボクは久々の『よその子』たちとの再会で、こんなエントリーを書いたのでありました。

金沢転勤を前にして気になっていた、ボク配下の『よその子』たちの行く末に、ちゃんと『うちの子』扱いされるだろうか?と。『うちの子』扱いされるよぉ~にちゃんと精進しなさいよ!とその2年間の過ごし方を伝授して、金沢へと旅立ったのでございます。

そもそもなんでそんなことを気にせにゃ~いかんかというと、本人が自覚しているかしてないかは別として、明らかに当時のボスの立ち振る舞い、担当内メンバーの扱い方に『うちの子』と『よその子』の差があったのである。 言葉の節々にそのよぉ~な気配を感じさせるモノがたしかにあったのだ。 そんなに大所帯な担当でもないのに、なんでそんなワケをするかなぁ~と不思議だった。というか、理解できなかったのだ。

乱暴にその『うちの子』『よその子』を分けてみると、ボスが直接面倒見ているメンバーは『うちの子』であり、ボクが面倒見ているメンバーは『よその子』ということになる。 ちなみに、ボク自身は直接ボス配下なので『うちの子』という扱いになる。 ボスはカリスマタイプなんで、フラットな組織をイメージして、さほど階層というモンは意識してないと思っていたのだ。だから、なぜわざわざ『うち』と『よそ』に分けるのか、ボクは理解できなかったのである。

そんな『うちの子よその子』問題も、金沢に来てボク自身の立場・立ち位置が変わり、二段高いところから組織を見るようになると、このボスのメンバーに対する接し方の理由がわかったよぉ~な気がするのだ。

ボクが転勤してきた当初、組織としては凸凹で、あるプロジェクトではボクは担当課長の役割であり、別のブロジェクトでは担当部長、全社的な役割としては組織長という立場でもあるという、いったい前任者はどんなマネジメントぶっこいてたんじゃいっ!!とあまりのいい加減さに腹が立ったものである。 そんなプロジェクト毎の凸凹を1年かけて整理して、ボクの下にちゃんと管理職が見るべきところは管理職を配置して均していったところで、なんかこの『うちの子よその子』問題がわかった気がしてきた。

ボク配下の担当にちゃんと管理職を配置してみて、階層化を図ったところで、それまでボクが直接見ていたプロジェクトのメンバーに対しては『うちの子』、すでに課長がいてボクは部長としてふるまっていたプロジェクトに対しては『よその子』という感覚がはっきりと感じられたのだ。

この自分との距離感をどうマネジメントしていくか?メンバーとの距離感が近いことが悪いわけではない。 しかし、だからといって『うちの子』と感じているメンバーの上には、いまや管理職が付いているのである。 その管理職の頭を通り越して、いくら距離感が近いからといってボクがいちいち直接メンバーと話を進めてしまっては、間に入った管理職の立場がない。 ボクは組織長として各担当の部課長をマネジメントしていく立場であり、当然のことながら、担当メンバーのマネジメントは各担当の部課長の役目として委ねなければならない。それを上から飛び越えてしまっては、現場を混乱させてしまうだけなのだ。

担当者が何か問題を抱え、それを部課長通り越してボクにアラームを上げるのは、それはそれでよいことではあるが、何かにつけてボクを頼られては、間にいる部課長の立つ瀬がない。 部課長にはメンバーにより近い立場で、気軽に相談に乗ってあげられるようなマネジメントを身につけてもらいたいし、メンバーも部課長を後押ししていくくらいの信頼関係を醸成していってもらいたい。 そういう面では部課長、担当者へのそれぞれの指導も兼ねて、敢えて『よその子』として突き放したよぉ~な接し方を取ることも、上席マネジメントの一つの手であるのだなぁ~と。

やはり、人間立場によって同じ物事でも視点が変わるのだ。 なんてことはない、ボスに対して感じていたなんかわだかまりっぽいものも、ボクがまだまだ青二才でしかなかったというだけのことなのである...(^^;)ハハハ。

金沢での2年、活き活きとした食生活だけではなく、そういう意味でもなんとなく我ながら成長させてもらえたし、蒙古斑が多少は抜け落ちた気がする今日この頃なのだ。