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『ニッポンの音楽』佐々木敦 読了!☆☆☆

ニッポンの音楽 (講談社現代新書)

『邦楽』から『Jポップ』へといつの間にか名前を変えたニッポンの音楽について、Jポップが生まれ落ちたメルクマールを軸にそれ以前と以後に分けて45年間を通覧するという本である。

ニッポンの音楽 (講談社現代新書)
講談社 (2015-05-22)
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その手法として本書では45年間にわたる国内の音楽史を紐解くという通史的な手法は取っていない。 主に60年代末から70年代。70年代末から80年代。80年代末から90年代。90年代末からゼロ年代、そしてテン年代とされる現在まで、それぞれの10年間(ディケイド)において、『ニッポンの音楽』に少なからぬ影響を与えたであろう『主人公の物語』として、各年代における『ニッポンの音楽』の在り様、変容を通覧するという作りとなっている。

面白いことに、というかメルクマールとしている以上狙いもあるのだろうが、この40~45年に渡る通史の中のちょうど真ん中に『Jポップ』なるものの言葉の誕生が登場する。 したがって『Jポップ』前の20年、その後の20年という括りで『J』なるモノが思想、文化になにをもたらしたのか?文化的条件が出そろったから『J』になったのか?そのあたりに興味があり、本書を手に取ってみたのである。

まずは、本書が対象とする45年のうち3/4はほぼリアルタイムでボク自身が音楽を夢中になって聴いていた時期と重なるので、各物語と当時のボクの音楽とのかかわりを振り返ってみる。

はっぴいえんど』の物語

60年代末から70年代にかけての物語。 この時代はさすがにボクにとってはリアルタイムではない。次の物語である主人公『YMO』や大瀧詠一の超ロングセラー♪A Long Vacation♪の洗礼を受けた後にしばらく経ってから『はっぴいえんど』と出会った。 時代はすでに90年代。サニーデイサービスの登場とともに俄かに持ち上がった、日本語ロックの元祖!という立てつけでメディアが再発見しだした頃から、改めて振り返ってみたバンドである。 また、80年代に貪り聴いたYMO細野晴臣、『A Long Vacation』の大瀧詠一が在籍したバンドということで、より親近感が沸いた記憶がある。

ここでは、いまや伝説と化しているはっぴいえんど内田裕也によるロックは日本語か英語か?論争について当時の状況を掻い摘んでで紹介している。 この日本語英語論争の話は、実はその後全編を通して語られる『ニッポンの音楽』のきっかけでもあり、日本の音楽を『ニッポンの音楽』足らしめる本質でもある。

ボクが本格的に音楽に入り込んだきっかけは洋楽だったこともあり、日本語で歌われるロックに関して、若い頃のボクはいくら音楽性が高かろうが対象外であった。 そういう意味では長いことボクは内田裕也と同様にロックは英語!派だったのである。 それはなぜか?と問われるとロックの持つダイナミズム(特にビート)に間延びする日本語の語彙のリズムが合わないと思っていたからだ。

この時代の音楽については、80年代以降の音楽と異なり、遡って聴いたこともあって、その時の現在と過去を聴き比べるという聴き方になっている。 そういう意味で時代が先走ってしまうが、はっぴいえんど以降、国内では同時期にブームとなっていくフォーク、その後のニューミュージック、アイドル全盛期の歌謡曲、そしてJポップと変遷する中で、日本の音楽は日本独自の変容を遂げてきた。 その延長線上にあったとボクが考える90年当時のサニーデイサービスと、そのルーツであると言われたはっぴいえんどではやはり、あきらかに日本語のノリが異なるのである。 どちらも、スパイスとしては同じように中央線沿線文化を漂わせるものは感じられるが、サニーデイサービスの歌詞はより『私』的部分がはっきりしており(日本文学の特徴でもある私小説ミニマリズム)、日本語の節、旋律における日本語の乗り方に違和感が感じられないのだ。

かたや、名曲『風をあつめて』にしてもはっぴいえんどの当時の楽曲は、著者も述べている通り、歌詞にしても人口的であり、日本語の曲への乗り方も微妙なズレを感じさせる。 また、このズレは音楽マニアからすれば、オリジナルを連想させてニヤリとさせるスパイスなのかもしれない。

本書で作者はこう述べている。

彼らの音楽は、単純な意味で洋楽的でもなければ、かといって日本的でもない、どこにもないようなサウンドになった。繰り返しますが、はっぴいえんどが描き出した音と言葉による「風景」は、極めて人工的なものです。言うならばそれは、彼らが耳にしてきた膨大なレコードや、読んできた沢山の書物、あるいは見てきた数多の映画、等々のるつぼから突然変異的に生まれた「風景」だったのです。このことはすこぶる重要です。

はっぴいえんどに感じたボクの違和感は、なんでも『日本的』に変容させてしまうこの国の文化に抵抗?し、分解と再構築によってオリジナルな日本語のロックの創造にこだわったところなのかもしれない。

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YMOの物語

70年代末から80年代にかけての物語。 この年代からは、ほぼボクが音楽を聴きだした時代とリアルタイムに進行する。 しかしまだこの時代、ボクはケツの青い洟垂れ小僧であり自由に音楽を聴きまくれるほどの友も経済的基盤も有していない...(^^;)ハハハ。

YMOと出会ったとき、ボクはまだ小学生だった。 学校の遊び友達に、 友『イエローマジックオーケストラって知ってる???』 と聞かれ、ボクはなんのことやら全然想像もつかず、「イエロー~」という語感から「イエローモンキー」を脳内変換され、『サルのオーケストラ』のイメージを持った程度だった(笑) その後、テクノとかいう音楽をやっているグループだと聞き、さっそく近所のレコード屋さんに出向き、イエローマジックーオーケストラの棚を探したのだ。

その時目にしたのが2枚目のスタジオアルバムである『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』。 ショックだった。 ♂なのに顔には化粧を施し、日本人なのに赤い人民服を身にまとうその姿は、とても洟垂れ小僧の理解の範疇を越えていたのである。さすがにアルバム1枚をポンと買うほどのお坊ちゃまではなかったんで、シングル盤で発売されていた『ライディーン』を購入して家に帰った記憶がある。

そのサウンドはこれまでステレオを通して聴いてきた音楽とは全く異なり、むしろTVゲームやゲームセンターで聞くようなゲームサウンドであり、インベーダーゲームが大ブームとなっていた当時の世情も後押しして、これこそ最先端なのだっ!ムフゥゥゥ~~~ッ!!とYMOの子供として自我が芽生えた、そんなボクであった。

おそらく小学生でYMOと出会った方は誰しもおなじような経験をしているではないだろうか?

この時代、圧倒的な破壊力でパンクが疾走し、これまでの音楽を圧倒的な瞬発力であっという間に全否定して即座に退場。 瓦礫の中でポストパンクが模索されているという状況であり、スリーコードさえ覚えれば誰でもミュージシャンになれるという音楽にアマチュアリズムが初めて齎されたムーブメントのその後どぉ~する?という時期でもあった。

そんな中、はっぴいえんどでロックに日本語を導入するという実験を行った細野晴臣のプロジェクト『YMO』が始動する。 本書のキーワードの一つとして各物語では常に『リスナー型ミュージシャン』という単語が繰り返される。 『リスナー型ミュージシャン』とは、大雑把に言ってしまうと、国内外問わず圧倒的な情報量の音楽を耳にした上で、オリジナルな音楽を作り出すミュージシャンということになろうかと。 そういう意味では60年代末から細野晴臣は典型的なリスナー型ミュージシャンとして本書では取り上げられている。

マチュアリズムを標榜して既成の音楽を否定したパンクに続くものとしてのポストパンクの時代。 この時代に音楽の世界で新たな要素として加わったのが、シンセサイザーを中心とした音楽機材の高度化だった。 細野晴臣は「外」の世界の「過去」と「現在」の音楽を当時の最先端テクノロジーを活用することで再構築を図る実験をYMOを通じて成し遂げたのである。 それも本人たちが思いもよらない短期間の中で。

それは著者が指摘する通り、

エキゾチカ+テクノロジーならぬジャパン/アジア+テクノロジー、すなわち「テクノ・オリエンタリズム」です。

それが、時代の雰囲気ともマッチしすぎて本人たちの想像以上に速い速度で、音楽マニアのみならず世間一般に対しても非常にわかりやすいコンセプトとして認知され、YMO時代の寵児として日本のみならず世界に認知されるミュージシャンとして位置づけられる。

しかし、あまりにコンセプトが明快で理解しやすかったために、その音楽以上に「キャラクター」が独り歩きし始め、『YMO』というグループ自身がもともと職人的気質であるリスナー型ミュージシャンでもある彼らの範疇を越えてしまい、また、音楽的にも短期間にも関わらず十分な実験は終えてしまった感もあり、散開という結末を迎える。 このあたりの度を越える許容の仕方は、今でもお笑い芸人も一発屋化と同様な日本人的気質を感じさせられますなぁ~。

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『Jポップ』の誕生

気が付くとこれまで『邦楽』といっていたモノが『Jポップ』になっていた。 本格的に音楽に夢中になり出した中学の頃では、レコード屋/CD屋やレンタル屋でも『邦楽』コーナー、『洋楽』コーナーとサインが分かれていたものである。 それがいつから『Jポップ』になったのか? ボクはてっきりJリーグブームを迎えてから、その人気にあやかろうと業界的に生み出した言葉なのだろうと思っていた(笑)

が、実際ことの始まりは1988年10月に開局したJ-WAVEだったらしい。 J-WAVE開局当初のコンセプトは、

既存のAM/FM放送との差異化をはかって、ラジオ番組の基本である喋りの要素を極力無くして、とにかく音楽を、しかも洋楽ばかりを掛け続ける、というものでした。 <中略> つまり、J-WAVEは、日本で最初に「洋楽専門」を打ち出したラジオ局だったのです。
それでもやはり、100%完全に洋楽オンリーというわけにはいかないところもありました。
やがて、局のポリシーを守りながらも、国内の音楽、とりわけニュー・リリースをどうすれば紹介できるのか、という命題が生じてきます。
開局当初から洋楽専門局としてのアイデンティティを強く打ち出していたので、日本の音楽を流すに当たっては、何らかのエクスキューズと方向付けが必要になったのです。『Jポップとは何か』によると、その会議では「どんなミュージシャンの作品をかけるのか。そのコーナーにどんな名前を付けるのか」、更にJ-WAVEでは基本、ナレーションは英語だったので、「英語の語りの中で、『日本のポップス』をどう呼ぶか」ということが議論されたそうです。

という経緯から、J-WAVEの中では洋楽の範囲外であった『日本のポップス』を紹介するためのいわば方便として生まれ落ちたのが『Jポップ』という言葉であったとのこと。

その後、この『Jポップ』という言葉とともに、これまでの邦楽や歌謡曲といった日本的変容を遂げながら綿々と引き継がれてきたこれまでの音楽と、Jポップの名のもとにカテゴライズされていく音楽に明らかな違いが生ずるようになったとボクは考えている。 著者が本書で言及する『ニッポンの音楽』の対象とが異なる、ボクが考える日本的変容を遂げた大衆音楽のことを『日本の音楽』とすると、Jポップ誕生とともに、日本の音楽は一度リセットされる。 しかし、日本的変容という日本文化の様々な場面で垣間見られる資質は、Jポップという新しい概念さえも変容させていくのである。

これは90年代以降の物語で語られていくが、まさにこのJポップという言葉の誕生はニッポンの音楽のメルクマールであり、これまでの「内」と「外」の関係性の他に、「内」の中でも「Jポップ誕生までの内」と「Jポップ誕生後の内」という関係性が生じるきっかけとなったことではないだろうか? →Jポップ後も日本的変容を遂げながら海外のポップスの混入は続いていくが、過去のこれまでの邦楽・歌謡曲といった日本的なモノとの断絶が感じられる。

渋谷系と小室系の物語

80年代末から90年代にかけての物語。 この時代、ボクはこれまで洋楽一辺倒だった音楽嗜好から邦楽・Jポップに耳を傾けることになる。 なぜかといえば大学に入り、コンパとかでカラオケに対応せねばならなくなるからである(笑) さすがにネタ的に洋楽歌ってもウケるにはウケたが、さすがになに歌ってるかわかってもらってない中で歌い続けるのは辛いものなのである...(^^;)ハハハ。

とはいえ、だからといってヒットチャートを賑わせているJポップにいきなり入り込むのも癪に障る。なにせまだ青二才だったんでイキっていたのである(笑) そんな中、『渋谷系』というキーワードが賑々し始めるのである。 邦楽からJポップになったとはいえ、所詮英語圏のトップチャートのコピー劣化版ぢゃん!くらいにイキっていた当時のボクは、渋谷系という単語の語感にハァ~ハァ~しつつも、その楽曲がアメリカであったりヨーロッパであったり、オリジナルの楽曲ののように聴こえたのである。これには、邦楽知識が乏しかった当時のボクは入れ食い状態のように飛びついた。

本書では当時のこのボクの反応もさもありなん!とばかりに『渋谷系』について定義している。

渋谷系とは、まずひとことで言えば「リスナー型ミュージシャン」の完成形です。そして彼らが好んで聴き、影響を受けていたのは、もっぱら外の音楽、海外のポップ・ミュージックでした。渋谷系とは、東京の街の名前が冠されているにもかかわらず、あくまでも洋楽出自の音楽であった、ということです。九〇年代は、洋楽出自のニッポンの音楽が存在した最後のディケイドだったとさえ言っていいかもしれません。
つまり渋谷系は、七〇年代にはっぴいえんどとともに始まったプロセスの終焉であったと位置付けることができます。それは、外国で生まれ、外国語で歌われている音楽を、日本で、日本人の音楽家として、カヴァーとかコピーとか、単なる物まねではない形で、どうしたらやれるのか、すなわち海外の音楽をニッポンの音楽に、どうやったら翻訳=移植できるのか、という困難な問いに向き合ってきた歴史、その終わりを意味しています。この意味で、渋谷系とは、はっぴいえんどの二十年後の姿だったと筆者は考えています。

Jポップの誕生を介して、90年代の物語に入って、ようやく著者が本書で言及してきた『ニッポンの音楽』のイメージが明らかにされる。

ニッポンの音楽』とは、洋楽のカヴァー、コピーではなく、リスナー型ミュージシャンが自分の音楽的嗜好に基づき、海外の音楽と真摯に向き合いオリジナルなニッポンの音楽として翻訳・移植をしてきたものであるということ。 これは、まさに古代よりの日本のお家芸ともいうべき職人技で、中華圏文化である東アジアのさらに東の島国で、漢字を当て字に日本の言葉を表し、さらにはひらがな・カタカナを生み出していった「外」の文化の内包化と同様のプロセスであったのではなかろうか。

また、渋谷系と小室系がこの時代の短い時間に『ニッポンの音楽』の完成形に近づき、その終焉を迎えさせた理由としてはリスナー型ミュージシャンとしてのフリッパーズギターピチカートファイブ小室ファミリーをプロデュースしまくった小室哲哉というコンポーザー的資質の強いミュージシャンの力量はもちろんではあるが、この時代にそれを完成させる環境の変化もあったと著者は言及している。

そして、もともとLPでしか出ていなかった作品が、次々とCDフォーマットで再発され始めます。過去のタイトルは、CDのリリース点数を増やすための鉱脈であり、まずはヒット作や歴史的名作の数々が、次いで知る人ぞ知る、中古盤で高値が付いていたり、音楽ファンが血眼になって探しているようなマニアックな幻の名盤も、その対象になりました。  つまり、CD市場の拡大によって、過去の音楽へのアクセスが、以前とは比較にならないほど容易になったのです。これはもちろん日本だけでなく、世界的な現象であり、いうなればポップ・ミュージックが「過去」と接続された、大きな事件です。そして、その後、インターネットの登場によって、このアクセシビリティは、ほぼ完成されることになります。

LP盤からCDへの移行に伴う、過去の名盤のCD化。 これにより、時間軸における「過去」と「現在」という垣根が取り払われる。

CDが浸透していくのと、ほぼパラレルに起こっていた現象が、輸入盤レコード店の勢力拡大です。タワーレコードやCISCOやWAVE(発足当時はディスクポート西武)等といった幾つもの輸入盤ショップ/チェーンは、だいたい八〇年代頭くらいから登場しています。
当然、新たなリスナーも増えてきます。八〇年代後半から九〇年代前半にかけて、輸入盤レコード店が、一部のマニアだけではなく、広く音楽ファン──特に若い世代──に開かれていきました。これによって、同時代に関しても、過去に関しても、大量の洋楽を聴くことが可能になりました。こうして「膨大な音楽を聴いて、それらを踏まえて自分の音楽を作る」ということが可能になったのです。

輸入盤レコード店の拡大により、CD単価が安く、国内盤よりも発売が早い洋楽へのリーチが容易になり、「内」と「外」の垣根が取り払われたことになる。

このことが、これまで著者が言及してきた「内」「外」「過去」「現在」のマトリクスの中の狭間で生み出されてきたリスナー型ミュージシャンによる『ニッポンの音楽』の終焉を一気に早めたと著者はいう。

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中田ヤスタカの物語

90年代末からゼロ年代、そしてにテン年代かけての物語。 そして、現在に続くディケイドの物語。90年代の渋谷系・小室系の物語において、すでに『ニッポンの音楽』のなんたるややその終焉の兆しに触れた著者は、この現在続いている物語において言及しているのは、『ニッポンの音楽』の終焉の実証でしかない。

「内」「外」「過去」「現在」というマトリクスはもはや存在しない時代なのである。 CDと輸入盤屋で構成された街ぐるみの物理的音楽データベースは、もはや雲の上のサーバ上のストレージ置き換わった。 AppleによるiTune Music Storeのサービス開始にともなう、音楽のダウンロード販売の一般化、さらには最近では月額定額による音楽ストリーミングサービスの開始である。 あれだけ渋谷系と騒がれた渋谷においても、その使命を終えた輸入盤屋はこの10年で閉店を余儀なくされている。 音楽はもはや巨大な雲の上の電子的データベースの中にあるのである。

そしてそのデータベースの中の音楽には、もはやかつての「内」「外」「過去」「現在」という括りはない。全てが均一化された基準の中の等価の音楽として存在する。

かつて「内」「外」「過去」「現在」の狭間の中で音楽的能力を駆使して『ニッポンの音楽』想像してきたリスナー型ミュージシャンのこのディケイドは、中田ヤスタカの物語として、capsul、Perfumeきゃりーぱみゅぱみゅを手がける中田ヤスタカを登場させる。

80年代の物語の主人公であるYMOYMOたらしめた要因の一つに音楽機材、テクノロジーの進化がある。あのポストパンクの時代にテクノポップを想像できたのは、シンセサイザーといった機材の急激な進歩が欠かせない。 『今』に続くこの物語の主人公、中田ヤスタカもテクノロジーの進化に支えられている一人である。 この時代、音楽は完全にコンピューティングとシームレスになり、DeskTop Musicとしてそのツールは日常化した。 中田ヤスタカは「内」「外」「過去」「現在」の区別のない今の時代に、DTMを駆使して全てを一人で、コンピュータを相棒に作品を仕上げる。

capsuleのこじまとしこにしろ、Perfumeの3人にしろボーカルは存在するが、もはや中田ヤスタカにとっては自らの作品を構成する音源の一つである。 彼は、デスクにおいてコンピュータが記憶する音源を出し入れ、調整することにより、「内」「外」「過去」「現在」のどこのマトリクスにも該当しない「ここ」の音楽を創造する。

そして中田ヤスタカの時代であるゼロ年代以降、もう「内」と「外」という区別は、ほとんど意味を持っていません。もちろん「外」は相変わらず存在しているのですが、それは夢や想像とは無縁の、単にリアルな「ここ以外」でしかない。そして「ここ」には「ここ以外」もある意味で内包されてしまっている。それは「現在」に「過去」が内包されているということでもあります。彼の前には、「過去」の幾つもの断片が、時間軸とはほとんど無関係なかたちで、いきなり立ち現れた。それらの「過去」においては、すでに「内」の中に「外」が、「外」の中に「内」が、入れ子細工のように折り重なっている。彼にとって「よそ」とは、もはや時間的にも空間的にも、限りなく極端な、ほとんど無限遠点のようなものとしてしか存在し得ない。  彼は「ここ」に居るしか、居続けることしか出来ない。なぜならば、もはやどこだって、いつだって「ここ」になってしまったのだから。



『Jポップ』の葬送後とニッポンの音楽

著者は中田ヤスタカに代表される「内」と「外」をリアルタイムで同期させるオールインワン型のミュージシャンの登場をもって、リスナー型ミュージシャンの完成系、そして「内」と「外」という文化的枠組みと「過去」と「現在」という時間軸の消滅によりJポップは葬られたとする。

ここにボクは『ニッポンの音楽』には描かれていない、日本的変容を遂げながら、時代時代を奏でている『日本の音楽』の存在を再認識せざるを得ない。 あれだけ業界、聴衆を巻き込み、90年代に空前の音楽産業の好況を招いた『Jポップ』がその終焉を迎えたからといって、日々リリースされていく現在の日本の音楽は、ではいったいなにものなのだろうか?

J-WAVEがそのポリシーを曲げてまで国内の音楽を内包化させるために生み出した方便である『Jポップ』も著者が定義する『ニッポンの音楽』としてのJポップは終焉を迎えたのかもしれないが、相変わらず市井に『Jポップ』という言葉は存在する。

Jポップ』という概念もまた、極めて日本らしい日本的変容を重ねて大衆化されてしまったからこそ、著者は終焉としたのではないだろうか。

そういう意味では、本書の対象はボク的には非常に関心を持ち続けてきたアーティストであり、読み物としてはとても面白いが、日本の音楽における歴史観・文化批評という面では非常に偏っていると思わざるを得ない。

本書であえて触れられていない、昭和歌謡やフォーク・ニューミュージック(ともに一部触れられてはいるが本書の本質ではない)、それに昭和のアイドル歌謡とバンドブーム。昨今のアイドルグループ全盛等々の大衆音楽の位置づけはどうなのか?

そしてボクがなにより気になる日本語の節。 5・7・5・7と気持ちよく詞が沁み込んでくるときの日本語の節の特徴。 古代万葉の時代から綿々と受け継がれてきた、日本という土地と季節と風景に裏付けられた日本独自のリズムと抑揚が、どのように現在の日本の音楽に受け継がれてきたのか? 時代時代の「外」の文化を取り入れた日本的変容がどういう形で表現されてきたのか?

むしろ、著者が『ニッポンの音楽』の対象としていない、日本の音楽におけるメインストリームである大衆音楽のアーティストが歌い、奏でる音楽と『日本』という関係性の分析こそ、『日本の音楽』というべき文化批評足り得るのではないだろうか?

といっても、「新書」という限られたパッケージであるので、限られた字数で特徴的なモノをまとめないと中途半端に終わってしまうというのもよくわかるのだ(笑) そういう意味で、前書きである意味言い訳をしてるんでしょうけど(笑)