SAY SILLY THINGS!

“TEAM H末端構成員”が妄想と現実の狭間で戯れます。

出版・流通を巡る迷走、珍走、そして失速...。

Bookstore

新刊村上本買い占め!?!?

先日、こんな記事が世間を賑わせた。

『世間』といっても業界周りと一部の本好きあたりしか興味を惹かない泡沫記事ではありますが...(^^;)ハハハ。 ボクも日経の記事でチェックしたときはあぁ〜あと溜息交じりにタイトルだけ見てスルーした程度のニュースバリューだった。 先日、いろいろと電子書籍周りを振り返る機会があり、その中で本件も話題になって改めてその記事を読み返してみたのだ。

作者が書いた原稿は、出版社を通して本稿が完成し、印刷会社に原稿データが渡り、印刷・製本され、製本された本は出版社から取次会社を通じて、全国津々浦々の書店に配送されて、よぉ〜やくボクら読者の手に渡る。 超おおざっぱに整理してしまうとこのよぉ〜な紆余曲折を経て作家のコンテンツが読者に渡るのである。 その間、『再販制度』だの『委託販売制度』だの小難しい制度に既得権益が雁字搦めになっていて、国内の出版流通はにっちもさっちもいかなくなっているということが何十年も前から言われ続けてきたという経緯がある。

2000年、Amazonが日本上陸した際にも国内書店の危機だ危機だと黒船騒ぎで大騒ぎ。 2010年、電子書籍元年!?と今やなかったこととなっている時にも黒船騒ぎで大騒ぎ。

この間、硬直化した出版・流通制度が何か変わったかというとさにあらず。 小手先の対応だけしているあいだに黒船さんが利用者に認知されて、出版社は本が売れるならいぃ〜ンじゃん!利用者は便利だしいぃ〜ンじゃん!! 間の流通小売り業者だけ、指を加えて愚痴を捏ねるという状況が続いていただけのことであります。

とある読者の本購入に関する来し方行く末

とりあえず、小難しいヲトナな話は置いておいて、読者目線でちと整理してみる。 本、読書に関しては通常よりヘビーユーザよりなボクの経験則でしかありませんが、『本』の入手ということを整理すると。

幼き頃から本好きだったボクは大きくなっても本屋がなによりのテーマパークでありました。 週末ともなると都内の大型書店に午前中から入り込み、隅から隅まで本の棚を眺めてハァ〜ハァ〜するのがなによりの悦びで...(^^;)ハハハ。 不思議なことにこのような徘徊を毎週のように重ねていると、書店に入るまでは全然興味が無かった本が、『棚の方から呼びかけてくる』ことがあるのです。 そんな呼びかけがあった本を手に取ると、不思議と『その時の気分』に合致していて即お持ち帰り。 そんな徘徊をする度に単行本やら新書やら文庫本やら、1回に4、5冊をお買い上げ。 という結果となるのです。本4、5冊ともなると相当な重さで家まで持ち帰るのに苦労する日々......。

それがネット書店がサービス開始されると『本の重さ』という問題が解消されます。 いつしか、書店徘徊でチェックしたモノのうちすぐにでも読みたい本でも無い限り、メモしておいて後でネット書店(最初は紀伊國屋Bookwebだったのが、配送の早さからAmazonに切り替え。その後はずっとAmazonで)でポチッ!という買い方になっていきます。 ネット書店のおかげで、本屋から家までの持ち帰りという手間が省けたわけです。

とにかく興味がある本はジャンルを問わず購入していった結果、天井まで届く本棚3本では当然足りず、積ん読状態でも小さな古本屋程度の本が積み上がり、もはや限界。 そんなこんなしているうちに『電子書籍元年』が俄に騒がれます。 本好きにとって、流通の問題点はネット書店で解決したモノの物理的な問題は如何ともしがたく、その物理的な問題を解決出来る手段が電子書籍だったのです。

再度の黒船襲来ですったもんだする業界の中の人々を観察しつつも、国内大手による電子書籍サービスは開始され、本命の黒船さんが水際で邪魔されてなかなか上陸できないんで、当初は紀伊國屋のKinoppyで電子書籍に切り替えていきました。 が、本命黒船さんのKindkeが国内サービスを開始するやいなや速攻でKindleに切り替えます。

その後は電子書籍で販売されるモノは書籍ではなく電子書籍で。電子書籍でなかなか販売されないモノは、当初は書籍を購入してましたが、いつの間にか電子書籍化されるまで待つようになっています。 とにかく、電子書籍であれば

  • 部屋のスペースを気にする必要が無い
  • 本屋から家まで持ち帰る手間がかからない
  • 常に鞄の中の一定のスペース&重量がかかる書籍を持ち歩かずに何冊でもKindle端末orタブレットスマホで読める
  • そしてハイライト&検索の将来性に期待!

という、ボクにとってはメリットでしかない要素が満載なのであります。

ここまでのヘビーユーザ一歩手前のボクと本の来し方行く末を整理すると、国内出版流通業者が、黒船襲来に怯えて黒船を邪魔をしている間に国内サービスを立ち上げて、黒船がサービス開始する前に利用者を囲い込もうとしたところ、ネット書店であっても、電子書籍であっても、結果的にボクは黒船Amazonがサービル開始するやいなや切り替えているのです。 奇しくもどちらとも最初は紀伊國屋のサービス、その後Amazonのサービスというのが今回の記事の行く末も思いやられる今日この頃です(笑)

では、なぜこのような同じことが繰り返されるのでしょうか? 一つには国内勢はこれまでの業界事情を前提として、リアルなビジネスの補完的な役割でしか、ネットやデジタルコンテンツというモノを考えていないのではないか? 逆に黒船さんであるAmazonさんはそんな業界慣習は関係ないので、あくまで『利用者の利便性』を第一に考えねられたサービスを展開します。 必然的にそのサービスを使えば使うほど利用者は利便性が高いモノの方に流れていきます。

奇しくも、もはや紙のパッケージである書籍よりも、(あくまで、)ボクにとっては購入の動機にあたる第一意は電子書籍であるかどうかが非常に重要になっているのです。 物理的な問題とデジタルであるが故の利便性の高さのために。 さらには、そのデジタルであるが故のその先、コンテンツとコンテンツを結びつけるコンテキストの世界、さらにはそのコンテキスト自身がコンテンツとなっていく世界への期待も込めて(←これは今回の主旨とだいぶ外れるんでまたいつかの機会に(笑))、いまやよほどのことが無い限り紙の書籍は買いません。

そんな中、デジタルの世界ではなく、リアル書店の品揃えという建前で始まったこの紀伊國屋さんの思い描くその先はなんなのでしょう??

紀伊國屋の目的はいったいなんなのか?

では、今回の紀伊國屋の報道はこれまでの反省を活かしてよぉ〜やく利用者の利便性確保の重要性に気付き、利用者目線でサービスを再構築しようとしているのでしょうか? 先日の記事は日経の当初の記事を読む限り、

  • ネット書店(Amazon)に対抗するもの

ということでしか無いようにも見えます。 が、その後の推測記事とかには

  • 本当の目的はこれまでの出版流通の仕組みを壊すもの(再販制度の崩壊)

という深読み記事もでてきています。

今回紀伊國屋村上春樹の新刊本の初版10万部のうち9万部を仕入れ、紀伊國屋チェーンでそのうちの3万から4万部を販売し、残りは他書店へ流すといわれています。 紀伊國屋としては初版のほとんどを手の内にすることにより、ネット書店(仮想的Amazon)に物を渡さずに、販売開始当初の売上げを確保出来ることになる。 これまでの委託販売制度の下、出版社への返品というリスク回避で在庫を負うことなく薄利多売でしのいできた小売書店が、あえて在庫リスクをリスクテイクすることで、一定の売上げを確保するという方針転換が表面上この記事から窺える狙いのように見える。

また、出版社であるスイッチ・パブリッシングは10万部刷ったうちの9万部を紀伊國屋が買い取ってくれるので、当然のことながら返品リスクを負うことなくキャッシュフローを確保出来る。 ロングテールな品揃えをする必要の無い、一発ボロ儲けを狙う中小出版社にとっては夢のような話である。

さらに、紀伊國屋の裏にはどうやら大手印刷会社の雄であるDNPがうろうろしているらしい。 DNPはその傘下に丸善ジュンク堂文教堂を抱えている。 紀伊國屋が言っている残りは他書店というのは、当然このDNPが抱える三つの書店チェーンに流すことも想定内なんだろう。 これに、三省堂やら有隣堂やら加わったらほとんど大手の書店チェーンを巻き込んでこの国内業界大手による出版社・書店連合の買取戦略は完成するのではないだろうか?

一発屋のあだ花ではなく、本格的にこの戦略を進めるには、買い取った本をどう捌くか?小売りではなく取次的要素も必要となってくる。 これはボクの妄想でしかないが、DNP参加にはTRC(図書館流通センター)という小売りとはちと毛色が違う、全国図書館に本を卸す会社が存在している。 本件にどこまでTRCが関わっているかはまだ解らないが、大量の書籍をどう捌くかについてはTRCあたりのノウハウを加えていくことによりこのスキームが取次的な機能を果たすことも可能になるのではなかろうか?

しかし、だからといってボクはこのスキームには全く期待していない。 なぜなら、前項と同様にこの戦略の中に『利用者目線』、『利便性』が全く感じられないからである。

例えば、全国津々浦々に大型書店があるワケでは無い。 今回のこの買取戦略により大型書店が近くにない読者には待望の本が届かないということが十分に想定される。 これまでは、そういう場合に読者はAmazonにポチッというルートがあったんで、そのルートを邪魔してAmazonに流れていたモノを自らの陣営に取り込もうというのが本戦略なのだろう。

しかし、読者の動線上に対象の大型書店があれば出向くだろうが、果たしてそうまでして買い求める読者はどれほどいるだろうか?

そもそも発売当初にそこまでして買い求めるのは一部のコアなファンだけである。 村上春樹の大ファンではあるが、他にも読みたい本がいっぱいある読書が趣味なボクの様なタイプであれば、そこまでして買い求めることはしない。第二版、第三版が出て近くの書店に出回るまで待つことにする。

では、都市部を中心に紀伊國屋丸善ジュンク堂文教堂があるところで、この手の本を人より早く買い求めるタイプとはどういうタイプであろう?

  • コアなファンは必ず見れば買い求める。
  • 村上春樹の新刊本ということで、過去村上春樹を呼んだことのあるファンの周辺層
  • マスコミが騒いでいるンでとにかく流行に後れを取らないようにチェックしておかねばなるまい!というミーハー

おそらく、二つ目くらいまでがせいぜいではないだろうか? 発売開始までにマスコミが騒いでいれば三つ目まで含んだロケットスタートを期待することが出来るが、はたして今回の村上本がそこまで騒がれるものになるのかどうか? 結局のところ、全国津々浦々の本当に読みたい読者まで届かなくなることによる機会損失の方が大きいのではないか?ということなのだ。 リアル書店で捌けない部数は紀伊國屋BookWebなりhontoといった彼らが嫌がるネット書店である自分たちのネット書店を通じて販売するというだけのことではなかろうか?

次に大型書店とはいえ、このような買い占めのやり方を広げていく資金力があるのだろうか? 単に一発屋のあだ花で年に何回か有名作家の本をこのような買取戦略で話題に揚げるというだけのことであれば、もはやどぉ〜でもいい(笑) 夏冬のキャンペーンにでも合わせて是非年間イベント一環としてやってください!というだけのことである。

今回この戦略が成功して、今後の見通しが立った場合に、範囲を広げて小売業者自らが取次的機能を果たすことを視野に入れた場合、数多の出版社を相手に今の取次のようにファイナンス的な機能を果たすだけの資金力があるのだろうか?

ある意味再販制度・委託販売制度というインフラの元で、取次によるファイナンス的機能を働かせることで、大きかろうが小さかろうが出版社は様々な内容のコンテンツの出版が可能になり、文化の裾野を広げてきたという一面もある。

それが、小売業者がコントロールするということになると売れる・売れないが重要な要素となってくるはずである。そのことが顕著になりすぎて、混沌とした文化の面白み・奥深さが徐々に無くなっていくことが危惧される。

しかし、おそらくこんなことは想定されるケースとして例としてあげられるだけの話であり、実際にはこんな奥深いオトナな話にはならないだろうと思っている。

なぜなら、そんなことが出来るくらいだったら出版流通業界は今頃もっとマシなものになっているはずだからだ(笑)

そんなことよりも、紀伊國屋が今回仕掛けた出版社から直接し入れて買い占めるという中抜きのやり方を大々的に日の当たる場所で実施したことで、これまで業界慣習として良いのか悪いのかわからないまま、なんとなく業界関係者横並びで理由もわからず守り続けてきたモノに風穴を開けたのは事実である。 その勇気には敬意を表したい。

なぜなら、彼らの空けた風穴は必ずしも彼らの思い描く方向ではなく、利用者にとって(少なくともボクにとっては)良い方向に向かわざるを得ないことにも繋がるからである。

今回の買取戦略が業界的に許されるのであれば、より資金力があり、一定層のユーザ嗜好性を分析出来る規模のユーザ会員を保有する企業が同じことを仕掛けることも問題は無いということである。 コンテンツの出版元である出版社としてはより大きな部数を買い取ってくれて、一部有名作家に限らずコンスタントに様々な出版物を買い取ってくれる小売業者であれば、経済原則的にそちらを優先して販売することも考えられるであろう。

そんなコトが出来る小売業者がいるだろうか? その小売業者こそが国内書店が一番恐れているネット書店をはじめとするネット小売企業である。 黒船Amazon楽天あたりであれば十分可能なのだ。

悲しいことにリアル書店はどれだけ頑張っても利用者の購買情報というモノは手に入らない。 だから今回の紀伊國屋のような全国に販売網をもち、個人は無理でも各地域での売上げ情報はPOSシステムで管理しているような大型書店であれば、ある程度の販売実績に基づくまとまった発注というのも可能であろう。

しかし、ネット企業にはそれ以上に仕入れの裏付けとなりうるユーザの購買情報が長年蓄積されているのだ。 それを元に出版社から販売されるコンテンツを取捨選択してある一定ロットの部数を直接仕入れるというこは、リアル書店以上に容易なはずである。

結局、これまでのヒステリックなまでの黒船対応がかえってその後黒船サービス開始とともに利用者が流れていったのと同様に、今回の買取戦略も黒船の利便性を上げるための露払いとなるのが目に見えてきてしまうのだ......。

今回も電子書籍に積極的ではない有名作家の本だけを対象に自書店への客寄せパンダとして扱うだけの話になってしまうだけのことなのではないだろうか?

そんなこんなで、いちヘビーユーザの勝手な心配事でございました。 いぃ〜ンです。読書すること自体がどんどん便利になってくれさえすれば(笑)