SAY SILLY THINGS!

“TEAM H末端構成員”が妄想と現実の狭間で戯れます。

『伝えたい』のか『書きたい』のかと問われるとボクはただ『書きたい』のである。

Danbo Enjoys Writing Letters

真面目にブログを更新するようになって、最近は意識的にブログ執筆に関するエントリーに目を通すようになった。 ブログのアクセス数を増やすには、

  • とにかく毎日更新すること。
  • 伝えたいことを明確にすること。
  • ブログのテーマを明確にすること。
  • 読者に向かって話しかけるようにすること。
  • SEOSNSでの拡散に気を配ること。

などなどがよく言われることである。

なるほどとは思うのだが、ボク自身自分のブログをメディアとしてみたこともないし、いまのところ毎日更新しているのは、とにかく『書きたい』という欲求を満たすがためという部分が大きい。

伝えたいことももちろんそうだが、どちらかというと自分の心の滓をはき出してすっきりしたいのである。 当然、ネット上で公開しているワケなんで、そんな駄文に興味持ってくれる人が現れるとうれしいが、あえて相手に阿ったようなコンテンツではないのである。

あえていうなら言葉遊びなのである。 この終わりのない言葉遊びを通じて、自分らしい文体がいつか出来上がるのを待ちわびているのだ。

以前、『エッセイは文体である』と書いたことがある。 ボクが書いているようなブログの内容はそのほとんどが散文である。 その中身というよりも、音楽のような抑揚を兼ね備えた文体を完成させたいがための実験場がこの『say silly things !』なのだ。

かつて一度だけ、思いもよらないところからボクの文章のファンになったという奇特な方が現れたことがある。

転勤前の前担当が担当丸ごと事業部間を異動したばかりの頃である。 その新たに配属となった事業部では、人生の先達たる管理職が後輩に向けて含蓄に満ちたアドバイス、励まし、啓蒙の数々を文章にしたためて事業部のインナーHPに掲載するというとても奇妙な風習があったのだ。

そんな風習は露知らず、ボォ〜っと過ごしていたらボクにお鉢が回ってきてしまい、そのHP作成の委員を当担当で仰せつかっている部下から執筆を頼まれたんで、 「ハードコアとソフトテイスト、どっちがいい?」と問うたら、 「ハードコアでお願いします。」と言われたため、過去のこのブログのネタから記事をサルベージして提供したのである。

その元ネタがこちら。 ほぼ内容は同じで、途中途中の言い回しをアレンジしたくらいでなんとか委員の部下に原稿を提出した。

テーマは「ヘンタイ」という性癖を誤解されずに客観的に第三者に説明をすることがいかに難しいかということで、誰のためにもクソのためにもならない駄文を提供し、書いた本人がすっかり忘れた頃に事業部のインナーHPにめでたく公開されたらしい。

公開した翌朝、職場にいくなり、その記事を掲載したという他担当の女子がトトトッとボクの席にやってきて、まずはその駄文がとても気に入ってくれたらしいとのこと...(^^;)ハハハ。 困ったモンである。

ついでに、 『ああいう文章書く人が同じ事業部にいたってビックリです。この本読んだことございますか?あの文章を読んでこの本を思い出したんです。是非読んでみてくださいっ!』 と渡されたのが、小川洋子の「薬指の標本」。 裏表紙の説明を読む限り、「恋愛の痛みと恍惚を透明感漂う文章で描いた珠玉の二編」とある......。

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さてさて、ボクのただの『ヘンタイ』論と『恋愛の痛みと恍惚』がどうにもこうにもシンクロナイズするイメージが沸かなかったのである。 改めて文学というものの奥深さを知り、ボクの理解度の浅はかさを思い知ったのである。 しかしまぁ、ひとりでも喜んでくれる第三者がいるということは駄文を生産するものとしては嬉しい限りなのだ。

読書というモノはほぼ自己完結のモノである。 文章として一度作者の頭の中から外の世界に向けて発せられたモノは、もはや作者の手を完全に離れて、読者自身の物語となる。 どんな解釈も読者次第なのである。

したがって、ボクが書いたほぼ文体遊び&リズム感だけで書き上げたなんの思想も教訓も物語性もない文章と小川洋子のこの物語に同一性があろうがなかろうが、あると思った彼女にはたしかにどこか通じるモノがあったのだろう。

あえてボクの駄文と本書の2篇を結びつけようとするならば、本書の2篇は「標本室」と「語り小部屋」という時間や空間の流れから取り残された舞台装置のなかで、懺悔とも告解ともつかぬ行為で心の澱をそこに残していくことでささやかな癒し、再生を得ていくというものである。 前者はややフェチ的な部分が重なるといえば重なるし、後者は独り語りという文体という面では重ならなくもない。

なにはともあれ、書きたいがために書いた文章を読んで、大物作家の物語と重ね合わすくらいに深く染み入ったというのは非常に物書き冥利に尽きるというモンである(笑)

そういえば、この本は借りモンだったんで読後に彼女に返してしまい、もう手元にはない。 久々に読み返してみたくなったんでKindleストアでポチりましょうかね。