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“TEAM H末端構成員”が妄想と現実の狭間で戯れます。

『ニッポン戦後サブカルチャー史』宮沢章夫 読了!☆☆☆

ボクが生まれた1969年、アポロは月に降り立った。 人類の偉大なる一歩が月面に印された記念すべき年に生まれたボクらは『科学の子』だったのである。

だが、この新たな時代の幕開けとなるべき70年代、世間はどうだっただろう。 『もはや戦後ではない』世代はすでに過去。総天然色の東京オリンピック太陽の塔が聳える万国博覧会の頃はまだ受精卵にすらなれていない。

1969年にこの世に生まれ落ちて、物心付き始めた頃。 生まれ落ちる直前に安田講堂で頂点を迎えた学生運動は内へ内へと先鋭化し、浅間山荘事件を契機にその残虐性が明らかになっていく。 遠い中東で第二次世界大戦の後始末の杜撰さが原因で勃発した戦争の余波で、巷ではトイレットペーパーを買い求めて主婦がスーパーに殺到する。 そして、米ソの両大国は代理戦争を通じて冷戦が激化。核の脅威がいつ現実となるのか精神的な圧迫になれきった反動としての80年代......。

そんな時代背景の中で成長したボクはいつしかムー少年に......いやいや、それもあるがなんでこういう時代になっていったのか?ということにいつしか興味を持つようになっていた。

本書はNHK Eテレで『ニッポン戦後サブカルチャー史』として2014年8月から10月3日まで、全10回にシリーズとして放映したものをベースに構成したものである。 当然のことながら、毎週リアルタイムでボクは視聴した。 以前、宮沢章夫の『東京大学「80年代地下文化論」講義』を読んだくらいで、人物像を知らなかったが、TV画面を通じてはじめて観た本著者の印象は、ボクがサブカルチャーに目覚めたときにすでに活躍していたYMO細野晴臣糸井重里、川﨑徹、浅田彰中沢新一といった面々と同様、どこか巫山戯たような斜にかまえたような脱力感を滲ませており、案の定、いわゆるサブカルチャーの中で語られるクリエーターと同様のニオイを感じさせるものだった。

そんな『ニッポン戦後サブカルチャー史』がさっそく書籍化されるというので、脊髄反射でポチッとしたのである(笑)

NHK ニッポン戦後サブカルチャー史
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本書の全文でNHKのプロデューサーはいう。

サブカルチャー史は、愛と独断でしか成り立たない。宮沢章夫、という稀代の劇作家・演出家が紡ぐ、サブカルチャーの物語。それは「サブカルチャーとは本来、中心にあるもの、上位にあるもの、正しいものからの逸脱(=ドロップアウト)である」という宣言から始まる。

まさに『サブ』であるカルチャーは『本体』がなければ存在しない。 中心と周縁。上位と下位。体制と反体制。 すべては、ある時代の雰囲気の中で、またある舞台装置としての場所の中で、同時発生的な『逸脱』によりサブカルチャーというものが生まれてく。

まだ僕は文学の意味を信じていますが、今、文学を変えてやろうという意識を持った若者がはたしているのか。問いを投げかけてみても、今はむしろ、「アニメが好き」と言われてしまいますから......。なにせサブカルチャーというとアニメの話になりますからね。それをもう少し幅広い話にしたい。サブカルチャーとはもっと広がりのあるものだった、と。

本書で残念なのはまさにこの点。 昨今、サブカルチャーは『サブカル』という言葉の方が一般に流通してしまっている。本書を読んでみてもらえれば明快だが、おそらく『サブカルチャー』と『サブカル』は違う。 サブカルチャーという枠組みの中の特定の分野としての『サブカル』ではないかとボクも感じているところだ。 このあたりのサブカルになっていく時代、これはまさに『おたく』が『オタク』に変容する時代の流れであり、現在に通ずる話になるのだが、この90年代の整理が多少に比べて浅いのである。 まぁ、でもこのあたりは東浩紀はじめ様々な人が批評し尽くしているから他書を読めってことなのかも(笑)

かつて「政治を変えるとすべてが解決する」と考えられた時代があった。資本主義から社会主義的な国家体制に移行すれば、あらゆる問題が解決する、というように。しかしそううまくはいかなかった。ソ連のことを見れば分かるように、解決するということはほとんどなかった。それなら、どうしたらいいかというときに、やはり一つひとつの問題に対してどういうふうに対処していくかを考えなくてはいけなくなった。それは、具体的には、自分はどう生きたいのか、ということでもあるのだと思います。その実践の一つが、『ホール・アース・カタログ』だった。ひとまずそう言っておきたいと思います。
八0年代のある思潮というか、時代のある文化的傾向が、「テクノ」という考え方によって支えられていたと僕は考えています。『東京大学「ノイズ文化論」講義』で触れたのは、七0年代に対抗する文化の潮流として、八0年代には、未来への憧憬のようなものがあったのではないかということでした。
ただ、そのあと、九0年代に入って、逆にそういうものらが別の視点から着目されるのですよね。再発見される。九0年代は、八0年代的な清潔感みたいなものの裏返し、反動としてグロテスクなものがより強調されるようになっていく。 八0年代の「テクノ」という考え方を、未来志向と位置づければ、「それはもう嘘なんだ」という諦観から九0年代は出発している。

本書では1950年代から主に2000年まで、各時代におけるサブカルチャーとその時代における意味と次の時代への架け橋が述べられている。 サブカルチャーの時代の通史を読んでみて、やはり痛感したのはコレまで自分が触れてきたサブカルチャー。特に西武文化事業全盛時のPARCO文化というか、いわゆる80年代までのサブカルチャーバブル崩壊以降、現在に至るサブカルとは断絶ではないにせよ、成り立ちが異なっているのだということ。

これまでのサブカルチャーには、『舞台装置』としての場所。 これは60年代の新宿から80年代の原宿〜渋谷に至る経路や、新宿から端を発した周辺文化圏となる下北沢、高円寺、吉祥寺といった中央線沿線文化圏の形成。 それと、舞台装置の誕生を裏付けする社会的な思想。政治的な思想から企業が提示する思想、クリエーターが独自の感覚で捉える思想。 さらに舞台装置の中の時代感覚を捉えて新たな逸脱を遂げるクリエーター、そこに集まる人々。

この、『場所』と『思想』と『人』が奇跡的に結びつくことでパワーのある『逸脱』が発揮され、文学、音楽、演劇といった身体的なサブカルチャーが花咲いては散りを繰り返してきたと思うのだ。

それが、特にパソコンとインターネットの発展により、もはや身体的なサブカルチャーの時代は過ぎ去り、「テクノ」以上に無機質的で0と1の羅列で創造されたデジタルな文化に移行している。 全ては細分化し、データベース化していくと看破したのは東浩樹だったと思うが、まさにサブカルとして定着した感のある現在のサブカルチャーはもはや舞台装置としての場所はない。 全てはネットの世界の中で大きな物語は失われ、クリエイトするという行為はデータベース化した素材を元に誰もが手がけられる世界となっている。

ボクが求めてきた『サブカルチャー』はもはや存在の余地はないのだろうか?