ブログ引っ越ししてましたっ!?

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毎度ご贔屓にしていただいている方々、実はブログを引っ越ししてました…(^^;)ハハハ。
というか、しばらく同時並行で進めていたんですが、この度正式に新しいブログを軸にしようと思いまして、こちらの“TEAM H末端構成員の戯れ言”は本エントリーをもちまして終了です。

新しいブログは以下の通り。

 

 

『say silly things!』 http://xaymaca3.com/xaymaca3/となります。

はてなダイアリー以来、長年書きためたエントリーには特に秋の手帳シーズンになると毎日大勢の方にお越しいただいて、感謝感謝です。
過去のエントリーもあわせて新ブログ『say silly things!』でもご覧いただけますので、引き続きよしなに!

それでは、今後とも『say silly things!』をよろしく御願いいたしますm(._.)m

ついに市内最大の観光スポットに潜入ッ!〜金沢城公園&兼六園〜

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金沢転居3と2/3ヶ月にして、ついに市内最大の観光スポットに潜入ッ!
これまで何をしていたかというと、夏の間は蒸し暑くとても外を出歩く気力が無いノッ!!とのうちの相方さんのお達しにより、観光らしい観光をしていなかったのである。 秋も深まり、日中は街歩きにはこれ以上に無いくらい良い御陽気になったンで、よぉ〜やく観光地らしいところに足を踏み入れることと相成った。

『街歩き』と言えば観光というキーワードでいうと、金沢ほど街歩きに適した街はない。
と3と2/3ヶ月にして思うところだ。 かつて、泉麻人はコラムの中で東京の三大副都心である池袋、渋谷、新宿をしてこう言った。

池袋は『点』の街である。池袋駅及びサンシャインの中で事足りる。
渋谷は『線』の街である。渋谷駅から広がる道玄坂、公園通り、センター街、ファイアー通りと通りに沿って街が伸びている。
新宿は『面』の街である。駅及び新宿通り周辺、歌舞伎町、西口高層ビル街とブロックが隣り合って形成されている。

さながら金沢はほどよい大きさの『面』の繋がりで形成されている街である。
面と面とはせいぜい10分〜15分程度。 今の金沢を観るのならなら駅周辺、その先には本願寺別院がある安江町周辺の寺院群、足を伸ばすと庶民の台所近江町市場を要する武蔵界隈。
武蔵ヶ辻で交差する国道159号線をまっすぐ進むと町屋で有名な東山花街街。右折して国道157号線沿線は武蔵の先に南町、香林坊、片町と続く金沢繁華街が連なるメインストリートだ。
香林坊の裏側は武家屋敷が繋がる長町エリア。その反対側に香林坊交差点を進むと金沢21世紀美術館や様々な美術館、資料館が固まる広坂エリアがある。その先に今回の市内最大の観光スポット、金沢城公園、兼六園が続くのである。

市内を端から端まで踏破するとかなりの距離にはなるが、このエリア間が間延びすること無くそれぞれの特徴を有した街が繋がるため、何回歩いても飽きが来ない。

金沢という街はまさに歩いて堪能すべき街なのだ。

そんな金沢探索もメジャー所を押さえておかないと、お前金沢でなにしてたの?と言われかねないので、ついに足を踏み入れたのだっ!!

いつものコースで香林坊交差点まで。交差点を左折して中央公園を抜けて、いもり坂口から金沢城に潜入!

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石垣の見事な切り口を隙の無いつなぎ目を間近に観ながら二の丸広場へ。

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すでに天守は焼けて数百年、復元されていないんで現在の金沢城はこの二の丸広場周辺が復元工事をされている。まだ完成では無いらしく、あちこちで修繕工事をしている。
この写真正面にある菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓は入場可能なんで入ってみた。
ちなみに、大人入館料は310円である。

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ほどよくひんやりしてとても気持ちいい空間を歩くと三層の物見櫓の最上階に繋がる急階段!?行きはよいよい帰りは怖い急角度の階段だ。ほぼ垂直に登っている間隔に襲われる。
昔の武士ってこれを鎧着て行ったり来たりテかなり大変だろぉ〜なぁ〜。

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物見櫓から観る外の景色。かなり絶景哉。ひょっとして金沢で一番高いところかも??

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二の丸櫓見物を終えて、兼六園へと繋がる石川門へ。

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石川門からは石川橋で兼六園が繋がっている。

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ちなみに土日は石川県民は入場料ただのよぉ〜だ。はじめて知ってラッキィ〜ッ!
タダと聞いて、毎週来ようかと言い出すうちの相方さん(笑)

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桂坂口から入園すると園内メイン所の霞ヶ池。
ここの虹橋は写真スポットのようで、これまでの金沢の中で一番の人口密度(笑)
とりあえず空きそうにないンで次回に期待して通り抜ける。

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園内を時計回りでぐるりと山崎山〜花見橋〜長谷池と一周し、霞ヶ池の反対側。ほんとはこの辺でチョイとお茶を一服と思ってたところだが、うちの相方さんが暑いのいらん!というので、これも次回…(^^;)ハハハ。

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とにかく大きすぎず小さすぎずほどよい園内。当然のことながら緑に溢れ、ちょっとした街散歩がてら心をリフレッシュさせるにはもってこいの場所だ。

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桂坂口から兼六園を後にして、麓にある前田利家公に拝謁しに(笑)

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歴史好きにはこの手の歴史上の人物の銅像はそうとうハァ〜ハァ〜するのだが、この利家公像はそんなに興味持たれていないのか、人はこれまでいっぱいいたのにここには誰も立ち寄らず、利家ちゃんは独りぼっちでポツンとされておりました(笑)

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とりあえず、プチ旅行を堪能した後は武蔵まで戻り、鰻の江戸焼が食べられる『浜松』でうな丼を。
しっかりふっくらした焼き加減が大変美味しぅ〜ございます。

浜松 (はままつ) - 北鉄金沢/うなぎ [食べログ]

実はこのエリア、学生時代に一度訪れたことがある。
当時、金沢城にはまだ金沢大学があったし、兼六園に関しては平地にあったもんと勘違いしていたンで、今回再び訪れて自分の記憶のいい加減さに改めて気付かされた次第である(笑)

兼六園はホント四季折々楽しめるところだと思う。二年間何度か通って楽しみたい。

ボク、自転車に引かれましたっ!?

自転車

金沢という街はそれなりに好きな街である。
衣食住の中でも、『食』と『住』に関しては都内に比べて申し分ない。
うちの相方さんの意見は異なるだろぉ〜けど(笑)

結構食べ物はこの三ヶ月で食べ尽くしたし、転居先のマンションの間取りも十分だ。むしろ使いこなしていない部屋が二部屋もある。
金沢の街並みは歩けば歩くほど迷宮への入り口である。
大きな通りの裏路地に入り込むと、金沢独特の斜めに走る道のせいでどこに連れて行かれるかわからない。
それが、また思いも寄らぬ発見もあり楽しいのだ。

そぉ〜いう面で、ボク自身は結構金沢を楽しんでいる。
うちの相方さんの意見は異なるだろぉ〜けど(笑×2)

そんな金沢でもキライなところはある。
なにより日々イラつかせてくれるのが交通マナーの悪さである。
金沢という街は戦火を逃れてきたことから、加賀百万石時代からの街並みが広範囲で維持されている。
当時の街道を引き継いで現在に至るため、他の都市で繰り返されてきたような再開発された整然とした街並みではないのだ。
これはこれで、金沢の街歩きをユニークなモノにしていると同時に、車社会の現在では厄介な部分も内包しているのである。

これは石川県気質なのかどうか知らないが、そんな街並みであるにも関わらず、車のドライバーの歩行者に対するケアがほとんどみられない。

  • ほぼ歩道が無きに等しいにもかかわらず、車道の左側すれすれまで車を寄せて歩行者のワキを走り抜ける。
  • 横断歩道を歩行者が渡っているにもかかわらず、ギリギリまでスピードを落とすそぶりを見せずにツッコんでくる。これが歩行者に対する恐怖感・ストレスたるや相当なモンである。
  • 信号待ちしている車が、まだ青に切り替わっていないにも関わらずフライングで発進しようとする。これも、前述同様横断歩道を渡ろうとしている歩行者に対するストレスは相当である。
  • 通行量が少ないところでは平気で信号無視をする。

日常、徒歩か自転車で行動しているボクにとってはこのようなドライバーのマナーの悪さにはそうとうストレスをためているのである。
免許の住所変更で警察署に行ったときに他県から転居してきた人向けのアンケートを書かされたので、そのときは思い切りこの交通マナーの悪さを書き殴ってやったが、職員は自覚しているのか、丁重に対応してくれた。

この交通マナーの悪さは自動車VS歩行者に限らず、自動車VS自転車、自転車VS歩行者にまで転嫁されるのだ。
自転車というものは金沢という街並みの特性を考えると自動車と歩行者の間に挟まれて一番リスクを負っている存在かもしれない。

道幅に余裕が無く、ほぼ車線左側ギリギリを自動車が走行する以上、怖くて車道を自転車などで走れない。
必然的に、自転車は歩道を走ることとなる。しかし、そこには歩行者がいる。相手が歩行者となると何か起きたときに悪さのウェートが高くなるのは自転車側である。
まさに金沢においては自転車利用者が一番リスキーな存在と言えよう。

にも関わらず、やはり石川県人・金沢市民全般の交通マナーの悪さではないかと思ってしまうのは、自転車利用者自身も歩道のなかで自動車ドライバーと同じような振る舞いをみせるのである。

  • 歩道の真ん中を悠々と走り抜ける。
  • 歩行者と対向状態にあってもスピードを落とさない。
  • 歩道の中を二列縦隊で走行する。
こんな状況で日夜歩行者はストレスたまりまくりなのである。

そんな中、ついにその日がやってきた。

先日、ボクは自転車に引かれたのである.......。

多分.........おそらく......事象としてはそういうことなんだろうと思う。

会社の帰り、気分転換にいつもとは違う裏道をを抜けて歩いて帰っており、大きめの道に出たところで、完全なる歩道スペースをボクは歩き出した。
しばらくすると、前からスゴイスピードで歩道の中をこっちに向かってくる自転車がある。
『ちっ!またかよ。ホントむかつくよな。どうせよける気ないんだろ?オメェ??』と心の中で毒突きながら、案の定ギリギリになっても相手はスピードを落とす気が見られない。
いつものようにどうぞどうぞと身をよけて通り抜けるスペースを空けてやった。

がっ!?通り抜けようかというタイミングでボクの身がググッと後方に引き寄せられたのだ。
なんや?と思いながら下半身を踏ん張って堪え、瞬間的に状況を把握したボクは怒り心頭振り向きざまに、
『なにやっとんじゃコルぁぁぁ〜〜っ!!!』
と自転車のアンちゃんを睨もうとしたら、視界にいないっ!?!?
視点を下に移すと思い切りスッ転んで何が起きたかわかっていないかのような惚けた顔で見上げているアンちゃん。

こっちはこっちで頭に血が上っているンで睨みながら近寄ったが、アンちゃんがあまりにもオロオロしているんで、ダイジョブか?と声をかけて、自転車を起こしてあげて、洋服のホコリを叩いてとってやり、最後に歩道の中は気をつけや!といって別れたのである。

振り返ると、どうもスピードを出しすぎていたンで通り過ぎ際に一瞬日和ったんだろう。それでバランスを崩してボクの側によろけてしまい、その時にボクが肩掛けしていたバッグのベルトにハンドル辺りが引っかかったらしい。
ボクが後ろに引き寄せられたのはその時のモンのようだ。
ハンドルが引っかかって、ボクが踏ん張って堪えたんで身動きが一瞬取れなくなった自転車はそのままひっくり返ってアンちゃんは飛ばされたというのが真相だ、と思う。

先日、そんな夜の出来事がアリ、ボクは状況確認上は自転車に引かれたのである。
事後の事象を見る限り自転車側の被害のほうが大きいように見えるかもしれないが…(^^;)ハハハ。


これほど、金沢の交通マナーは最悪である。自動車に限らず自転車も変わらない。
金沢に観光に来られる方は、くれぐれもご注意ください。

『キメラ―満洲国の肖像』山室 信一 読了!☆☆☆

大连理工大学化工院 (旧 大連南満州工業専門学校)

満州』という単語を初めて脳裏に納めたのはまだまだ洟垂れ小僧の頃である。
マンガの中でまことちゃんが、
♪ここはお国の何万里ぃ〜離れて遠きまんじゅう〜のぉ〜♪
と歌っていたのをまねていたら、親から『それはまんじゅうじゃなくて満州!』
と窘められたのが切っ掛けである。

以来、学校の歴史の授業で何度も出会う近現代史の項目であるが、この国の成り立ち、位置づけが幾つになってもわからない。
今になっても、面白そうな本と出会うと手に取り理解しようと努めるが、結局いつまで経ってもわからない。
本書もそんな中での一冊である。

キメラ―満洲国の肖像 (中公新書)
山室 信一
中央公論新社
売り上げランキング: 23,176

冒頭に、

『いったい、なぜ中国東北部満洲国という国家がこの時期、日本人の主導によって作られなければならなかったのか。その国家形成の過程はいかなるものであり、それに日本人や中国人はどうかかわったのか。また、形成された国家は、いかなる統治構造や国家理念をもち、その実態はどうであったのか。さらに、満洲国と中国と日本との間には、国制や法制、政策や政治思想などにおいていかなる相互交渉が生じていたのか、総じて、その国家としての特性はどこにあり、近代世界史のうえでいかなる位置を占めていたのか、──こうした問題の検討を通して満洲国という国家の肖像を描くこと、それが本書の課題である。』

とある。

その後の結末を知っているモノとしては、この『いったいなぜこの場所にこの時期に日本人主導で作られなければならなかったのか?』ということを知りたいのである。
どう考えても『大陸へのロマン』などと感傷的な理屈で認識すべきモノでは無いと思うのだ。

加えてなぜ植民地ではなく、独立国家として成立させることとなったのか?
そもそも単一民族という認識であっただろう当時の日本が、『民族共和』などという絵空事を本気で考えていたのか?
関東軍という一地域部隊が本土の陸軍中央の指揮権を無視して勝手に動けるということがなぜ起こりえたのか?
切っ掛けを作った石原完爾はなぜ満州の舞台から姿を消すこととなったのか?
戦後日本復興のモデルの先駆けであったとされる官僚たちが満州で手がけた国家経営とはなんだったのか?

総じて、他人の敷地に勝手に入り込んで、余計なお世話で家を作り直して差し上げますよなどという理屈がなぜ国際的にまかり通ると思ったのか?

これらの疑問に多少なりとも本書は答えてくれている。
しかし、やはり『総じて』の問いに対する明確な回答が本書の中にあるのかないのか正直ボクにはわからない。
あの戦前の空気がわからない身には、いくら今の理屈で理解しようとしてもできないモノなのだろうか?
できないとするならば、今後いったい歴史から何を学べるというのだろうか?


と、『満州』というものはまだまだボクにとっては非常に後味が悪くなるテーマなのである。


かくてキメラは、その一三年五ヵ月余の生命を「帝国日本」とともにした。  成否をもって歴史を語ることにどれほどの意味はないとしても、石原莞爾が考えたように満洲領有が「日本の活くる唯一の途」であったかどうかは、大いに疑わしい。しかし、満洲国建国が近代日本の滅びへの道であったことには、いささかの疑いもない。

北陸三大オムライスっ!?!?の巻

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『北陸三大オムライス』というものをご存じだろうか? ご存じだろうか?と振っておきながら、Google先生に問い合わせてみてもそんなモノは無い。

しかし、金沢市内武蔵野エムザにある勝乃屋さんにいくと、その北陸三大オムライスをお見受けすることができるのだ。

勝乃屋 - 北鉄金沢/ステーキ [食べログ]

金沢の『ハントンライス
福井の『ボルガライス
富山の『白エビライス』

金沢のB級グルメ全国区というと金沢カレー
このハントンライスも市内の洋食系のお店ではだいたいメニューにあるので、普通にB級として市内では通っているのだろう。
7月の赴任以来、あちこちで目にして、B級グルメファンとしてはすぐにでも食指を伸ばしたいところだったのだが、せっかくの金沢、まだまだ他に食べなくてはならないモンがあろぉ〜モン!と敢えて避けて通ってきた食べ物である。

そろそろよか時期かと以前から何度も前を通り過ぎていた勝乃屋さんに足を踏み入れたのである。
本来この勝乃屋さんはステーキ屋さんである。なのに夏場はステーキとそーめんのセットとかを出したりしているらしいちっとお茶目なところがある。
んでメニューを見るとこの通り、北陸三大オムライスがデデェ〜ンと幅をきかせているのである。

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ステーキに後ろ髪を引かれながらも、ここは我慢。
今日はハントンを平らげに来たのである。
一度は食せねばならない相手である。

その相手、『ハントンライス』とはいかなるものか?
Wikipedia先生によると、

ケチャップで味付けしたバターライスの上に、半熟の薄焼き卵と白身魚のフライを乗せ、タルタルソースをかける。一見するとオープンオムライスのようである。 元々は、カレイ目の魚である「オヒョウ」を使った白身魚フライが乗っていたが、1976年に「ジャーマンあき」が初めてエビフライを乗せて販売した。

とある。なるほど。白身魚のフライというところが北陸らしい。
実はボクは洋食屋さんではボークカツとかヒレカツよりもお魚系のフライの方を好んで注文する質である。
オムライスの上にエビフライ&白身魚フライのタルタルソースとは、ボクが嫌いなわけがないコンビネーションなのである。

ちなみに福井の『ボルガライス』とは、同じく先生に聞いてみると、名前の由来は定かではないがこぉ〜いうことらしい。

福井県武生市(現:越前市武生地区)発祥のご当地グルメで、オムライスの上にカツをのせ、各店独自のソース(カレー不可)をかけた料理である。かけられるソースはドミグラスソースの店が多いが、中にはトマトソースや中華風あんかけを使うところもある。

福井といっても越前市だからなのか?福井市ということであればふつうにボークカツよりも薄くて細かい衣のソースカツをのっけた方が知名度あがるんじゃん?と思ったモノの、地域が違うンぢゃしかたがない。

ところで富山の『白エビライス』はどぉ〜なんだ?
かなり怪しげな香ばしさを感じるこの料理、さすがのWikipedia先生に聞いても応えてくれない(笑)
これは茶目っ気で勢いで作っちゃった勝乃屋さんのオリジナルであると思われる。
同種のメニューとしてステーキのせオムライスなるモノもあるお店なんで、そぉ〜いうことなんだろう…(^^;)ハハハ。

ということで、ボクはハントンライス。相方さんはボルガライスを注文したのである。

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オムライスの上にはエビフライが二本と白身魚フライが一つ。
タルタルが濃厚でケチャップの酸味を合わさって、ちっと味が濃すぎかも。
ケチャップライスはケチャップとライスのバランスがちょうど良い感じで、パラパラなのにしっかり味が効いていてうま゛しっ!
揚げ油が使い回しなのか、フライの衣が黒っぽいのが難点...(^^;)ハハハ。

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ボルガライスのポークカツはお肉が柔らかく、これならポークソテーとかも期待できそうな感じ。
ただ、こっちも味が濃く感じたんでこのケチャップの味が濃いのかもしんない。

総じて意外に満足なご当地B級グルメでございました。
ただ、昨日のエントリーに続きますが、やはりここのオムもフワトロ系の玉子でございます。
薄焼き玉子のオムライスって、ホント絶滅危惧種なんですなぁ〜......(遠い目)。

かつてオムレツはかくありき

3 Brown Boiled Chicken Eggs

オムレツ
Wikipediaによると、

オムレツ(omeletteまたはomelet)とは、玉子を割って溶き、塩・胡椒などで味付けをし、バターや油をひいたフライパンで手早く焼いた代表的な卵料理。多くは木の葉型で中央が丸く盛り上がった形をしている。食材も作り方も非常に単純で、家庭でも簡単に、かつ短時間で作る事が出来る。このため、特に朝食のメニューとしてたいへん親しまれ、世界中どこの国でも普遍的に作られている。

とある。

ふむふむなるほど。簡単ではあるが結構奥が深く、満足いく出来映えのものはなかなか難しい。特にプレーンオムレツは。
なので、どちらかというとホテルのビュッフェとかであったりすると喜び勇んで選んでしまう食べ物の一つである。
以上、終了。

...............いやいや、ちっと待てっ!
今一度立ち止まってよくよく考えてみることにしましょう。

今となっては何となく、『オムレツ』というものはフワフワトロトロな普通でありながらちと小粋スパイスがのっかったあのオムレツを思い浮かべるかもしれない。
が、記憶のすり替えというか、いつの間にかオムレツという記号の変換が行われていやいないだろうか?

特に昭和な世代の人はよくよく記憶を思い起こして欲しい。
自分のお母ちゃんがあんなおしゃれな食べモンを作ってくれただろうか?
家でお母ちゃんが作ってくれたオムレツとは、挽肉とたまねぎのみじん切りを塩胡椒で炒めた具に、フライパンで溶き卵を薄く敷いて焼いた薄い玉子焼きにくるまったヤツではなかっただろうか?

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美味しいのに、玉子を箸で分けると中身がボロボロ落ちたり、玉子の合わせ目がくっついてなくて料理として崩壊するアレである。

当時ボクはその食べ辛さを差し引いてもそのオムレツが好物であった。
洟垂れ小僧の時はケチャップ派だったが、桃色少年の頃には醤油派。
これぞ家庭料理の定番っ!という献立の一つだったものである。

たしかに外食でこのオムレツを食べたという記憶はあまりないのだが、大学に入り、実家を出て一人暮らしをしていた下北沢の定食屋では中の具が納豆だったり、明太子だったりしたオムレツ定食をよく食べていた。
このころのオムレツはいわゆるフワトロ派のオムレツではなかったはずだ。

いったい、いつの頃からオムレツはフワトロという固定観念にすり替わったのだろう?
まるで、高級ブランド米といえばササニシキ!からいつのまにかコシヒカリ!!に変わっていたかのような転換である。

転換点の一つは伊丹十三監督作品である『タンポポ』の公開ではないだろうか?
1985年、プラザ合意の年というまさにバブル期に突き進む歴史的タイミングでオムレツの前に『オムライス』のコペルニクス的転換が起こっているのである。


作中、ホームレスが食堂に忍び込んで作るオムライスは、チキンライスに薄く焼いた玉子焼きを被せるという従来の昭和少年大好きオムライスではなく、チキンライスにフワトロのオムレツをのせるという離れ業をやってのけた。
さらに、そのフワトロオムレツを真ん中から割って左右に切り開いてフワトロな中身の玉子がチキンライスに覆い被せるという演出付きの新たな『オムライス』というものを世に問うたのである。

いまでも日本橋たいめいけんの名物になっているこのオムライスは当時かなりの衝撃であった。
いっきに、薄焼き玉子巻という行為がダサいものになったのである。

昭和4年創業のたいめいけんで「タンポポオムライス(伊丹十三風)」を食べてきました - GIGAZINE
日本橋たいめいけんのオムライス

おそらく、このたいめいけんオムライスのオムの部分、すなわち『オムレツ』の部分がかくあるべし!と再定義されたことにより、従来の昭和オムレツから現在に至るフワトロオムレツに転換が図られたモノと推測するのだ。


そんなくだらないことを思ったのは、今日の我が家の晩ご飯がオムレツだったからである。

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すっかり、午後のお昼寝が長すぎて、起きたら日も暮れまくっていたため、冷蔵庫のありモノでうちの相方さんにおかずを作ってもらうことになったのだ。
冷蔵庫の具材を聞いて、オムレツつくれる?と聞いたら、さすがうちの相方さんも昭和な女である。
ちゃんと昭和家庭料理の定番のオムレツが出来上がった(笑)

しかし、悲しいかな。
前出のWikipediaの『オムレツ』の稿には、この昭和オムレツを思い起こす記載がいっさいない......。
こうして、料理というモノも生存競争に敗れたモノは新しいモノに入れ替わり、忘れ去られていくことになるんだなぁ〜。
と昭和な男の寂しさもひとしおなのである......。


恋しちゃって!おねがいっ!!

恋

最近は朝晩すっかり涼しくなったんで、通勤帰宅はもっぱら歩くことにしている。 職場の彦三と自宅の長田町の間はだいたい20分くらい。歩くにはちょうどいい間隔なのだ。

今日は会社帰りに片町でちと用事を済ませ、家まで遠いからバスにしようかと思ったが、歩いてみることにした。
ただ、国道157号線を武蔵ヶ辻まで戻っていつもの経路を帰るのもオモロくないので、片町から住宅街にツッコんで裏道から帰ってやろぉ〜っ!と鼻息荒く挑んだのである。

しかし、ボクは自他共に認める方向音痴というか方向というモノを理解していない『方向感覚の欠如』&『地図の読めない男』である。
とはいえ、世の中には文明の利器というありがたいサービスがあるのである。

そぉ、Google先生
御願いすればなんでも応えてくれる大先生である。ボクの掌の中にはGoogle先生と繋がれるiPhoneがある!これさえあれば鬼に金棒なのだ!フハハ。

と軽快に暗がりに足を踏み入れたモノの途中だんだん怪しげになり、道中こんな投稿をFacebookにアップしながらトボトボ歩いていると...。

電灯が極端に少ない暗がりだらけの夜道でも、Google先生さえ手のひらの中にいらっしゃってさえくれていれば、方向音痴かつ地図が読めない男でも無事に家まで辿り着くことができます。
......多分。
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イヤホンからYUIのCHE.R.RYが流れてきた。

CHE.R.RY
カテゴリ: J-Pop


YUIの特徴的な声に乗ったCHE.R.RYの歌詞に耳を傾け始めると、それまでの不安は何処へやら、ボクの脳内はジューシーフルーツに充ち満ちて、気持ちはすっかりチェリーボーイに逆戻り。
迸る青臭さをまき散らす青二才の妄想少年は地に足が付かなくなり、地面から3cmほど浮き始めたのである。

手のひらで震えた それが小さな勇気になっていたんだ 絵文字は苦手だった だけど君からだったら ワクワクしちゃう

そぉ〜そぉ〜相手が好きな人ならどんなことでも許容許容!
ボクは青二才の恋心から『許容』ということを学びました。

…好きなのよ ah ah ah ah

嗚呼、もぉ〜かんべんしてください。おねがいプリィ〜ズ!
青二才の頭の中では好きな子はいつもこぉ〜言ってくれておりました。

恋しちゃったんだ たぶん 気づいてないでしょう?

いやいや、気付いてますぜ。
でも、気安く相手しちゃったらマウントとられちゃうでしょ?
なんて、駆け引きなんてできない青二才はせめて頭の中ではいろんな駆け引きを繰り返して桃色の脳汁を垂れ流しているのです。

恋のはじまり 胸がキュンとせまくなる いつまでも待っているから 春の冷たい夜風にあずけてメッセージ

胸キュン......。
いつからこの切ない思いが薄れていってしまったことでしょう?
大学でよぉ〜やく落ち着くまで、中高の思春期まっただ中の頃は次から次へと好きな子ができるたびに『胸がキュンとせまく』なり、成長期のこの胸キュンのおかげで胸回りの成長が遅くなってしまいました。

恋しちゃったんだ たぶん 気づいてないでしょう?

恋しちゃって!おねがいっ!!
道中、10回以上リピートでずっと聴きっぱなしだったボクは、すっかり恋して恋してモードのまま我が家に辿り着き、帰るなりうちの相方さんに、

♂『おねがい!恋して!!YUIの♪CHE.R.RY♪歌ってっ!!おねがい!プリィ〜ズ!!』

と懇願したところ、

♀『壁に頭打ちつけて、一度頭割ってみたほぉ〜がいいよ。』

と軽く窘められ、現実の世界に引き戻されたのでありました......(^^;)ハハハ。