村上春樹訳「グレート・ギャツビー」発売!


構想二十年............(遠い目)
満を持しての訳業........(T^T)

新訳で蘇る、哀しくも美しい、ひと夏の物語
村上春樹が人生で巡り会った
最もたいせつな小説を、あなたに

なんの話やと申しますと、ボクをはじめ一部の春樹ファンしか萌えないことではありますが、ついに春樹訳による「グレート・ギャツビー」が出版されたのでありましたっ!


いやぁ〜長かったぁ......。


村上春樹の作品に出会ったのが中学時代。
羊をめぐる冒険」の単行本が出版されたあたり。
幼少のころから本好きではあったボクですが、国語の教科書に載るような作品とか夏休みの課題図書、はたまた当時の新潮文庫の100冊とかに選ばれる文学作品は特に苦手で、薄ぅ〜い文庫本ですら途中で飽きて一冊ちゃんと読了などという覇業は夢のまた夢の少年でした。


風の歌を聴け

そこにふとした拍子に目にとまったタイトルが「羊をめぐる冒険」。
なんだ?と。なぜか気になるタイトルで、でもこれは3部作の最後を占める小説であると。
この「羊」を読むために手に取ったのが「風の歌を聴け」。
これが、村上作品との最初の出会いであり、いわゆる文学作品にもボクの興味を向けるきっかけになったのでした。



それまで、なんか居心地悪く感じていた文学作品と違い、この「風の歌を聴け」は素直にボクの内面に入り込み、そのくどいように言いまわされるレトリックや行間から漂う透明感、下世話な空気とは違う作品世界の虜になるには時間はかかりませんでした。
この衝撃でものの見事に春樹ファンになってしまい、以後第2作の「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」の3部作はもちろんのこと、村上春樹と同世代の作家まで手を伸ばして今に続く読書三昧の習慣を身に着けてしまうことになったのですが......(^^;)ハハハ。


中学高校と村上春樹の長編短編の作品はもちろんのこと村上春樹作品に関する評論、研究論文の類までとにかく、「村上春樹」とつきさえすればなんでも手を出す日々。
なにかのインタビューだったかで「ボクが最も影響を受けた小説」のひとつとして挙げていたのが「グレート・ギャツビー」だったんです。
当時すでにロバート・レットフォード主演で映画化もされており、新潮文庫か角川文庫あたりで映画のシーンの表紙で、たしか「華麗なるギャッツビー」というタイトルで文庫本が売られてました。
何度も読もうとしたのですが、「いつの日か自分の手で翻訳したい」というような発言を村上春樹自身がしているのを思い出し、単純に盲目的な一ファンとなっていたボクは、「いかん!いかん!!これは春樹さんがいつの日か翻訳したのを読むのが礼儀なのぢゃッ!!」とあえて我慢して読まずにかれこれ20年............(T^T)。
ほんと長い長い道のりでございました......(;;)ハラリ。



愛蔵版 グレート・ギャツビー グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

今回、中央公論社さんも気合いを入れたモンで、一作品に対してハードカバー特別書き下ろし小冊子付きの愛蔵版と村上春樹翻訳ライブラリーとして新書版の2種類を出版している。


とにかくいつでも読めるようにと新書版。ファンとしては特別書き下ろしは所有しておかないわけにはいかないと愛蔵版。
えぇ〜えぇ〜中央公論社のうまい商売にノセられて両方買ってしまいましたよ。
というより、ファンとしての礼儀ですよこれは......(^^;)ハハハ。



とはいうものの、いったいいつボクはこの20年待ち焦がれてきた「グレート・ギャツビー」を読み始めるのだろうか?
というのもとにかく村上作品の虜になって20数年。日に日に村上作品に対しては腰を据えてその作品世界にどっぷりと浸りこまねばならないと勝手に思い込んでおり、読書以外にもいろいろとやらねばならないこともある今日この頃ではなかなか手を付け辛い状況なのである。


おかげで3年前に出版された「キャッチャー・イン・ザ・ライ」もまだ積読状態だ......(^^;)ハハハ。
現代版グレート・ギャツビーといわれる「偉大なるデスリフ」もこれがまた中央公論の策にはまって新書版を新たに買いなおしてしまっている。これも、読まねばなるまい.........。
春樹訳の他のフィッツジェラルド作品もこの際読み返しておいたほぉ〜が......。



読書の秋といわれる昨今、そんなこんなの余計なことを考えていると今シーズンの秋だけではとても読書時間が足りなさ過ぎる今日この頃なのである.........。