ほぼ日手帳:カバー・オン・カバー


昨日の日記で、ダラダラ感で日々の記録を書き留めてこれたなぁ〜ンて感覚的な事を書きましたが、それだけではない。

ということで、今日も手帳の話。

かくいうボクは、まずはカタチから入る主義である。
だから、手帳の見た目も飽きない事が望ましい(笑)

ボクの使っているほぼ日手帳は手帳本体にカバーがついている。
毎年初秋頃に注文する時はだいたいその年のカバーで気に入った色を注文しているので、過去3年分のほとんど使っていないキレイなカバーも合わせると結構色とりどりの手帳カバーが我が家には揃ってしまったのだ。

それに、昨年からカバーの上にさらにカバー・オン・カバーという透明のカバーも付属するようになった。
カバーと透明カバーの間にいろんなモンが挟めるので、これでまた見た目バリエーションが増える仕組みだ。

ちなみにボクは雑誌の切り抜きとかデザインがキレイな包装紙、ポストカードなんかを挟んでいる。

たとえば、こんな風


だいたい、週末にカバーを変えてるんで、毎週飽きずに新鮮な気分でほぼ日手帳と付き合えるよぉ〜になった(笑)
こゆ使い方は、ボク的には非常にヒットだったりする。


そんな、今年に入ってからは手放す事が出来ないほぼ日手帳でも、ここ1ヶ月ほどの間にボクの補助記憶装置の役割をタイムリーに果たせなくなりつつある。

というのも、ボクの主記憶装置の保存期間がさらに短くなりつつあるからだ...(; ;)ハラリ。

だいたいフトひらめくタイミングというものは、机に座って考えている時ということはまずない。
他の事をしてたり、煙草を吸いに喫煙室で呆けている時、通勤中に寝ている時、街中を徘徊している時、リーダーと無駄話に耽っている時......etc。

真面目に集中していない時に限って、突然訪れる。

となると、手帳を常に携帯しているわけではないので(ほぼ日手帳は文庫本サイズなんで、まず常時携帯は無理なのだ。)、主記憶装置にしばらく保存しておかなければならない。

さて、手帳に書いとくかと書き始めるといつの間にか揮発性主記憶装置と化しているボクの大脳には記憶の残骸すら残っていないという事態が多発し始めたのだ(T^T)

ということで、主記憶装置であるボクの大脳の補助記憶装置としての手帳の補助補助記憶装置としてのメモ帳を最近では常時携帯している次第である(笑)


何事もカタチから入るボクとしてはメモ帳はRHODIAのブロックメモを使用している。
ここのNo.11とNo.12あたりがちょうどパンツのポケットにいい感じで入ってくれる。この辺のサイズだといろいろとメモカバーも売られてるんで、ほぼ日手帳同様にカバーを変えて気分転換を計る事も可能だ(笑)

んな感じでとにかく頭に浮んだ事は片っ端からこのメモ帳に書きなぐっておいて、後で家でゆっくりほぼ日手帳mixiに整理するって手順が最近のボクのスタイルになりつつある。


これ以上のアイテムはおそらく制御不能なんで、これでなんとか老後まで持ち堪えたいもんである(笑)