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グロテスクな人間の「業」 「仮想儀礼(上・下)」篠田節子

彼女たちの心に信仰の種をまいたのは自分だ。ゲームだろうが、金儲けが目的で作り上げた神だろうが、信じるものにとっては何の関係もない。神を必要とするものが心の内に神を作り上げていく。
純然たる営利事業として立ち上げた宗教、「聖泉真法会」のワインボトルの仏も、その教えも、それにふさわしく空疎なものだった。空疎だからこそ、それを心底必要とする者が、まるで自らの鏡像と対峙するようにして、強固な中身を作り出していった。

私は金のために宗教を作り、人の心を操ろうとしました。人として悪いこととは思っていなかったのです。悪事を働くつもりなど毛頭なかったのです......。
しかし、世間は人の心を操る装置を利用しようとします。操ろうとしたつもりが操られ、操られたはずの女たちは私を陵辱し支配してきました。わかってます。愚かでした。
人の心を侮った私の愚かさが彼女たちを破滅させ、一人の男を殺してしまいました。

結局、聖泉真法会に残ったのは、彼女たちだ。どこにも居るところがなくて、他人の悪口や憎しみや、恨みなんか口にしないで、哀れみ慈しむって教えを実践している。
でも本当はそれぞれが恨みや憎しみや悲しみみたいな、ネガティブな感情を胸のうちに押し込めて集まっているんだ。それが辛さの極限まで来ると暴発する。それでいろいろなものを壊していってしまった


年明け一発目というのは、なかなか重厚な本にめぐり合う確立が高い。
というのも、

  • だいたい年末になるとボクが購読しているブログではその年のベスト本を紹介しているので参考となる書評が多い。
  • 年末年始という長期休暇が控えているので、普段読むのに根性が入りそうで敬遠しそうな本を敢えて選びたくなる。

こんなところから、たいてい重厚で良質な読書体験を提供してくれる本にめぐり合う確立が高いのだ。

今年は篠田節子の「仮想儀礼」(上・下)だった。
出版されたのは2008年12月なので、1年近く経ったものだが、なんでこれまで本屋で手に取ることがなかったんだろう?ちとチェックが甘かったなと。
もっと早く読んでしかるべき物語だ。というか、けして気持ちのいい話ではない。むしろ字のごとく重厚で、気持ち悪く、ページが進む毎に気分が悪くなっていく。
しかし、最後は......。

仮想儀礼〈上〉

仮想儀礼〈上〉

仮想儀礼〈下〉

仮想儀礼〈下〉

この新興宗教を巡る物語は、上巻と下巻でその描き方が変わっていく。
上巻では夢破れて落ちぶれた中年男2名が、営利目的のために宗教を立ち上げ、様々な偶然とともにしだいに利益を上げられる宗教に育っていく姿が、一風変わったというか控えめな教祖のポリシーをもとに安全な宗教のためのビジネスストーリーとして描かれている。
下巻では、規模は中小ではあるが十分な利益と信者を得た教団が次第にスキャンダルにはまり社会的制裁を受けつつ、信者たちは先鋭化していく。その様は非常にグロテスクで気持ちが悪い。

こんなにもグロテスクな物語であるにもかかわらず、物語の世界に引き込む作者の筆力はすさまじい。

宗教とそれを取り巻く様々な人々。
日常に居場所を得られない...いや宗教を非日常と捉えてしまうということは信仰を持つ人にとってはナンセンスかもしれない。

宗教に居場所を見出すしかない人の業。
それを食いものにする宗教者の業。
身近な最愛の人に対してまでも罪を犯してしまう人の業。
社会正義の名の下に自己の欲望を満たす人の業。
善良な市民の良識という名の業。

人は様々なペルソナを被り、多種多様な業を背負いつつ日常生活を送っている。
しかし、自己防衛本能が一気に起動した時、ペルソナの下に隠されている「業」は様々な暴力という形で噴出する。
その時の人としてのグロテスクさたるや.........。

本来、宗教では業の救済を司る装置だとボクはとらえているが、信者の心の澱が集中するその聖域は、人の業が集まる業の塊でもあるという二面性を持っているものなのではないか。

と、世界的寒波で寒々としている日々、いろいろと普段考えないようなことをいろいろと考えさせられた本なのでありました。