労働に対する対価とはまことに難しい限りなのです。


労働に対する対価ってなんなのだろうか?
自分の労働力を他者に提供して、その対価として「お金」をもらう。
まぁ、小さいころのお買い物のお駄賃にはじまり、アルバイトも含め、会社員に限らず自営業者の人でもこれが一般的な意識ということになるのかねぇ。
ただ、これの難しいところは対価を図るものってなんなのか?という点にある。
果たして、「時間」なのか?「アウトプット」であるべきなのか??
前者は生活費残業増による長時間労働の恒常化に繋がりやすく、後者は成果主義のもと個人優先主義&モチベーション低下が叫ばれている。

ボク自身は他者と比べて、短時間でアウトプットを出しているにもかかわらず、ダラダラと仕事をしてアウトプットがなかなか出てこない身近の諸先輩方を見ては憤っていたんで、どちらかというと後者のほうがなじみやすいのだが......。
おそらく、「労働してくれるかわりにお金をあげるね!」というように価値観を「お金」に置くだけのやり方は、もう前者でも後者でも行き詰っているのではないか?と感じ始めている今日この頃なのです。



きっかけは、春先のエントリーで「とうとう我が社にもホワイトカラーなんとかかんとかが導入かっ!?」ってなことを触れたとおり、とうとう7月からわが担当も裁量ぉ〜ろぉ〜どぉ〜制が導入されたワケです。(管理職は任用月から問答無用に適用されてたわけですが、元々残業手当はつかないんでどぉ〜でもいぃ〜というか...(^^;)ハハハ。)
しかし、この時期は担当としてもお客さんの来年度予算の仕込だとか、今年度の入札案件が目白押しで営業としては最盛期なワケです。
仕事ぶりそのものは当担当の若人たちは能力もモチベーションも高く、なにも心配はしてなかったものの裁量ぉ〜になってもその仕事ぶりは変らず......。
頼もしい限りではあるものの、まだみんな現実がわかっていないンだろうなぁ〜月末になったら心配だなぁ〜と今後のモチベーション管理をどうすべきか考え始めたところ、案の定7月の給与明細を見てみなさん現実を目の当たりにしたらしく......(^^;)ハハハ。


そりゃぁ〜そぉ〜だと思います。だって、みんな裁量ぉ〜前と後でなにも仕事ぶりが変わっていないんですもん。
同じように仕事して、同じようにアウトプット作っても残業がMAXでつかない分、裁量ぉ〜ろぉ〜どぉ〜では給与は下がるのです。
やってられないよな!と思うのが当然でしょう。ボクも一社員だったらなかなか自分を納得させるのは難しいかもしれません。



会社も「変わらなければならない!」という意識の元での導入とはいえ、事の本質をちゃんと社員に伝えていないのにも問題はあるとはいえ。
その辺のフォローは現場任せというのが大企業の悪いところでもあります。

いままで、何度か担当の面々にも伝えては来たつもりですが、まだみんな実感沸かなかったんだろぉ〜なぁ〜。
裁量下では、ホントに自らの価値観を「お金」以外のなにかに変えない限りメンタル的にも無理が生じます。
基本的に給与は定額の状況で、ではお金以外になにが対価として得られるのか?
人それぞれで異なるところはあると思いますが、例えばわかりやすいところでは「時間」です。

裁量ぉ〜のそもそもも意図するところは「各自の仕事の進め方に裁量権を与えます。就業時間に拘束されること無く、会社及び担当が目指すところの成果を上げてください。」ということだと思うンで、となると時間を有意義に使えるように自らの自由時間を作り出せるかどうか?がポイントとなるワケです。
今までの仕事のやり方を工夫して、自分で自由になる時間が増えれば、それは自分のため、家族のために費やすことができるワケで、極端な話、アウトプットの目処さえ立てば、朝出社して10分席に座っているだけで一日出社扱いになり、さっさと帰宅しても制度上は問題ないという、ボクからすればこれを使わない手は無い!ということも可能だったりします。



これは単に価値観を「お金」以外のものに置けるかどうか?によります。


うちのメンバーはいままでのカリスマ部長の指導の成果もあり、アウトプットの考え方とその品質レベルは問題なく進められるレベルにあり、成果そのものには正直管理職レベルが口出しする場面はあまりないものの、途中のプロセス・段取りという点ではまだ意識が低いというのがボクの見立て。
実際、みな仕事に没頭するととことんやりつくして高品質なものにしようとがんばってしまうところが多々あるのです。
このやり方をどぎゃんかせん事にはみんな疲れちゃうよなぁ〜。

と、こんなことを考えつつ、給与明細を見てザワついている担当メンバー何人かと話をしてみたところ、段取りを意識しているメンバーは意外と裁量ぉ〜そのものは受け入れようとしているのが垣間見られ、とにかくアウトプットの品質にこだわるタイプはんなこと言ったってやることいっぱいあるんだからやらざるを得ないんでしょ?という感じ。まぁ、無理やり自分を納得しようとしているようだ。

ただ、どちらのタイプも誤解をしているのが、裁量ぉ〜ろぉ〜どぉ〜を成果主義の一環として捕らえているらしく、評価の基準は「アウトプット」という点であった。
これは、社会の風潮も会社の説明も悪いと思うが、ボクの解釈では評価の基準は「アウトプット」ではない。
裁量下であればこそ、評価の基準は「プロセス」であるべきだと考えている。
アウトプットでの評価に軸をおいた時点で、成果主義の崩壊と同様のモラルハザードが起きると考えている。
「裁量+アウトプット評価」の行き着く先は、「ちゃんとアウトプットさえできてればいいんでしょ?お金ももらえないことだし、自分の裁量で仕事は進めます。」ということとなり、マネジメント不可能な事態に陥ることになりかねない。


メンバーの出来を把握しているだけに、こいつだったらここまで出来るはずだという目安がボクの中に存在する。
そのレベルのアウトプットを出すのに、「今までと違った仕事の進め方を工夫して、自らの自由な時間を作り出したか?」
このプロセスをマネジメント側が把握してちゃんと評価してあげることがこの制度には必要なのではないか?
というよぉ〜なことをメンバーに話したものの、果てさてちゃんと真意を理解してもらって、みんな自由な時間を得ることができるよぉ〜になるのかどぉ〜か.........(^^;)ハハハ。




ってなわけで、また仕事術系の書籍をあさり出した今日この頃なのです。
タイムマネジメントに関しても両極端の意見を持つ著者の本に出会ってしまい、どぉ〜したものか?と悩んでいることについてはまた後日のエントリーをば。