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赤めだか〜落語に祝福された男の人生録


あ゛ぁ〜〜〜文学に浸りたひ.........。

読了本リストを見てみると、ここんとこしばらく、読書といえばビジネス書ばかりだ...。
以前はビジネス本など見向きもせず、文芸・ミステリ・恋愛・SF。
よぉ〜は小説ばかり読んでいた。

それがどぉ〜したことか...(^^;)ハハハ。
振り返るとビジネス本三昧に気がついて、なんか自分がつまんなに人間になってきたよぉ〜な気がしてきた。

そもそも活字中毒なんで、なにも読まないよりもなんか活字を目にしているだけでもある程度の満足感はあるのだが、ボクが思うに小説の醍醐味はその文体にある。
ストーリーが面白いことに越した事はないのだが、気に入った文体の作家の小説は頭の中で脳内変換される妄想イメージが鮮明になる。


小説を読まなくなったのはなぜだろう?
じっくりと作品に入り込むなら2時間から3時間のまとまって集中できる時間がほしい。
今の環境では、なにがしか「ながら」読みをせざるを得なく、なかなか集中できる環境がない。
細切れ時間に読むとなると、ビジネス書系のほうが時間が取りやすいのかもしれない。

通勤電車の中では比較的座って移動しやすいのだが、会社の行き帰りではどちらかというとアドレナリンが駆けずり回ってるし、時間も30分程度なんでビジネス書とかのほうが向いている。

となると、家で読書に集中する時間をもてるか?となるとなかなかそれはそれで難しいものだ。

はてさて......やれやれである。



そんなことをブログに書こうと書き溜めていたら、日経ビジネスオンラインの「超ビジネス書レビュー」でこんなのを見かけた。

“男子”究極のコーチング!『赤めだか』〜落語に祝福された男の人生録

どぉ〜も最近の癖でビジネススキルに関する本かという認識が強く、「コーチング」のほうに興味を引かれたのだが、記事を読んでいくと「落語」、「立川談志」というキーワードのほうに興味が移っていった。
「超ビジネス書レビュー」なんてコーナーで紹介されてはいるが、そもそもこの本は立川談春立川流に弟子入りした頃からのことを綴ったエッセイであるらしい。


ボクはそれほど落語に入れ込んでいるわけではないが、ある時々で集中して落語に浸る時期がある。

最初は小学校高学年の頃、たまたま学校の図書館に置いてある古典落語全集を手にし、なぜか妙に面白く感じて気がつけば全集を読破していた。

その後も、期間の長短はありつつ落語に触れる時期があり、最近では2002年の年末にたまたまCD屋で目にした、「立川談志プレミアム・ベスト落語CD-BOX」がボクを呼んでるよぉ〜な気がしてレジに持っていってしまった頃だ。

立川談志プレミアム・ベスト落語CD-BOX(芸歴50周年記念)

立川談志プレミアム・ベスト落語CD-BOX(芸歴50周年記念)


このときは落語というよりも立川談志という人物にはまった。
それまでは「TVでたまに見かけるが、なんか得体の知れないオーラを撒き散らしている人」というイメージが強く、談志のオーラを受ける気力が持てず、興味はあるけどなんか尻込みしてしまう相手だったのだ。
だから、彼の落語は聴いたことがなかった。
落語といえば、談志と並び称される古今亭志ん朝がボクのお気に入りだったのである。
志ん朝はウマイ!安心して彼の艶やかな話芸に聴き入ることができる。
それに比べて、談志は喧嘩を売られているよぉ〜な......と食わず嫌いの一面があった。


とはいえ、まったく興味が無いわけではなかったンで、談志とは活字を通じて接していた。
最初の談志体験は、「立川談志遺言大全集」。

立川談志遺言大全集(1) 書いた落語傑作選(一)

立川談志遺言大全集(1) 書いた落語傑作選(一)

話芸のプロとはいえ、文章が書ける落語家はそうそういない。談志のすごいところは「話芸」だけでなく「文才」があるところである。
この大全集にははまり、発刊以降全集をコンプリートするに至った。


そんな談志の苦手意識も「立川談志プレミアム・ベスト落語」を聴き始めたとたんにぶっ飛ばされた。2002年の年末から2003年春先まで立川談志落語全集CDを聴きまくった。
CDなので、舞台での談志の動作までフォローはできないのだが、耳から入ってくる彼の話芸だけで脳内に談志ワールドが鮮明に浮かび上がってくるのである。

この人、やっぱり天才なんだ。

「話す」という行為だけでここまでイメージを相手に持たせられるこの才能がうらやましい。(なんて、一般人のボクがいったところでしょぉ〜もないのだが......(^^;)ハハハ。)

落語家を始め、しぶとく芸能界で生き残るお笑い芸人を見ていて思うのは、「話す」ということがそのままビジネスに繋がるというスタイルは究極の個人事業主の姿ではないかと思うのだ。
基本的に、設備投資や諸経費がかからない。身一つと冴えた頭があれば、いつでもどこでも商売ができる。
これは究極の姿であるな!と。
といっても、芸を磨くためのネタとかさまざまな情報を日々キャッチし続けなければならないという必要経費はかかると思うが。



と話がかなりズレていってしまったが、そんな談志の元での修行模様ってどんなんだろう?と単純に興味を持ち、さっそくこの「赤めだか」を買い求めた。

赤めだか

赤めだか

まだ、昨日読み始めて最初の1話、20数ページしか読んでないところなのだが.........。


立川談春、この人はスゴイ!
談志もすごいが談志が弟子と認めた談春もやっぱりスゴイ!!
エッセイの中では、舞台上の談志ではない談志の姿、その思想、落語への思いがたった1話の中にも色濃く出ている。この談志の姿自身もスゴイのだが、それ以上にボクをノックアウトしたのは、そんな日常を描写する談春の文才である。

冒頭で「小説は文体」ということに触れたが、この「赤めだか」はまさに談志という材料と談春という文体のふたりの天才によって成り立っている。エッセイでは収まりきらないまさに文芸作品である。


本の帯には文芸評論家の福田和也氏が次のようなコメントを寄せている。

笑わせて、泣かせて、しっかり腹に残る。
プロの書き手でもこの水準の書き手は、ほとんどいない。
間違いなくこの人は、言葉に祝福されている。


20数ページしか読まなくても、この「言葉に祝福されている」ということが実感できる。
まさに、活字読みの醍醐味が味わえるこの作品。
とともに、このように「言葉に祝福されている」と評されるその才能がうらやましい......。
でも、久々に読み終えたくないと思える作品に出会えたことに感謝したいのだッ!!!


今日のエントリーの前半中半までは、しょぉ〜じきどぉ〜でもいいのです(笑)
今日は後半の「赤めだか」の紹介さえできればと(爆)
落語の好き嫌いは問わず、読書好きな方々みなさんにオススメの一冊なのでスッ!