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「課長」って一体なに屋さんなのだろうか??


朝起きて鼻をかいだら、左の鼻の奥、鼻骨のあたりに鈍痛を感じた......。
ひょとして!?と思い相方さんに、
「寝てる間にひょっとして裏拳ブチかましましたぁ?」と聞くと、
「んな事するわけないぢゃぁ〜ン!鼻のかみ過ぎナンぢゃないのぉ??」と...。

しかし、鼻かみすぎて切れたりしたときの痛みとは違うのだ。
どう考えても打撃型の痛みである......寝てる間にナニやらかしたのだっ!?<ヲレ様!!


というワケで最近の日常はこの辺にして、前回前振りだけしてた最近考えていることをそろそろ書き連ねておこうと思う。
とはいえ、あまり真面目クサったことを考え出すと脳味噌がトロケ出してくるんでほどほどにしておきたいが、2月半ばあたりからずっと考えていることがある。


まず1つ目は「課長」なる立場の意義ってなんだろ?ということだ。
管理職なる立場になって早いもんで来月には丸一年。
正直なところ今まで未経験だったこの立場で、ボクはどう立ち振る舞えばよいものなのかハッキリとしたものがなかったのだ...(^^)ハハハ。

バブル崩壊後の風潮なのか、成果主義の風潮なのか自分ではよくわからないが、
・組織はフラットであるべき
・中間管理職はいらない
・もはや課長はプレイングマネジャーである
等々、中間管理職を取り巻く環境はこんなかんじではなかったか?

ボク自身も以前の職場ではそういう主義の部長の元で育てられたせいか、課長という立場の管理職が居なくても組織は回るもんだと思っていた。
むしろ、話は部長に通せばいいダケなんで一階層ないぶん楽に感じたモンなのだ。

実際、この一年は問題プロジェクトの後処理が尾を引きずって、まともに営業活動もできず...。
ボクの仕事もマネジメントというよりも、今までの専門知識を生かしてその分野でプレイヤーとして行動していた面がむしろ大きかった。
恵まれていることに、ボクのチームのメンバーは社内のそんじょそこらの連中よりも出来がいい。
それに加えて、ある意味マネジメントの部分はリーダーシップ発揮型の今の担当の部長に甘えていた部分が大きかった。
よぉ〜は上司も部下も出来が良すぎるくらいなんで、敢えて自分色をそこに全開にしなくてもなんとか回ってしまうのだ。

でも、ホントにそれでいいのか?自分のスキルという面でもこれでは全然進歩していかないではないかっ!?
そろそろ自分の立ち位置をハッキリさせんといかんな?ヲイ?
という時期にタイムリーに出版されたのが「はじめての課長の教科書」なのだ。

はじめての課長の教科書

はじめての課長の教科書

この本については、出版前から小飼騨氏の「404 not found」上でも絶賛されており、発売当日に書店で買い求め、久々に貪るように本を読む経験をした。

日頃、本を読んでは付箋を貼ったりはするものの1冊の本で5箇所貼ればいいくらいなのだか、この本に至ってはページをめくる度に「そぉ〜そぉ〜!」「なぁ〜るほどぉ〜」と課長という立場になってみて初めてわかったことに共感したり、なかなか自分では気付いていないことに感心したりと、あれよあれよという間にこんな状態になっていた...(^^;)ハハハ。

しかも、この付箋を貼った箇所に対して読後にメモを整理しなおすという初めての経験までしてしまった。
それほど、この本からは得るものが大きかったのだ。
今までの読書にはないほどのめり込んだ自分がいた...(^^;)ハハハ。

この本では、各章毎に「課長の8つのスキル」「課長が巻き込まれる3つの非合理なゲーム」「避けることができない9つの問題」「課長のキャリア戦略」とその実務的な内容にも触れられているが、ボクが一番感銘を受けたのは第1章の「課長とは何か?」という部分だ。
これは、中間管理職不要論以降なにかと脇に追いやられつつあった「課長」という職業の再定義だと思う。

一番わかりやすいのは先ほどの小飼弾氏のエントリーにある図ではないだろうか。
ボク自身、この図で示されるまでは「課長」ってなんか中途半端だよなという思いがあった。
現場にいるにしては、担当者ほど顧客と密な関係ではないし、かといって経営なんて世界からはほど遠い。こんなイメージだ。
でも、この図を見た時に「課長」という現場でも経営でもない第3の立ち位置が存在するのでは?と。

第1章では成果主義を前提としている今の人事評価の中で、「課長」という立場を再定義している。
中でもボクが注目したのは、「価値観の通訳」、「ナレッジ・エンジニア」、「ミドル・アップダウン」といったところ。
本書ではこのように述べられている。

  • 課長は世代間で異なる価値観がぶつかる場所に位置しているポジションなのであり、そうした異なる価値観をそれぞれに理解するばかりでなく、異なる価値観の「通訳」であることが期待されています。
  • 異なる価値観の新旧世代の間にたって、ひとつのビジョンをまとめ上げていくことが課長にとっての大切な仕事なのです。
  • 野中教授はトップが会社のビジョンや「夢」を招き、現場にいる末端社員が最前線で「現実」を見るときの「夢と現実のギャップ」を橋渡ししつつ、事業や製品についてのコンセプトを創造する結び目(または架け橋、ナレッジ・エンジニア)として中間管理職を位置づけています。
  • こうした状況の中で、中間管理職は現場から「重要な現場情報」を引き上げ、それを「経営者が描いた大きなビジョン」をつなぐために知恵を絞る「ミドル・アップダウン」な活動をするのです。
  • 「現場情報をグルグルと頭の中で回転させ、表現し難いものを表現するために、比喩や象徴によって経営者のビジョンを翻訳しつつ末端社員を動かす」というミドルの役割には、経営者や末端社員とは異なる付加価値が確かにあるのです。


この本を読んで感じたことは、プレイング・マネジャーという立場は存在しえないのではないか?
「課長」という役職はプレイヤー要素よりもマネジメントが優先すべきである。
ということである。
しかも、優秀な野球選手が必ずしも名監督足りえないというのと同様に、マネジメントという能力はプレイヤーとしての資質とは別モンである。
課長は担当者の延長ではないということをシミジミ実感させていただきました。

これは、ボクの「課長」としての付加価値を高めるためにも自分の意識を再構築していかなければならないなぁ〜なんて思い始めていたところに、第2のきっかけが舞い降りたのです。
長くなりそぉ〜なんで、その話はまた次回に!