父の入院


今週、父が入院した。
日頃、風邪など引かない健康体な人が久々に熱を出したと母から連絡があったのが先々週末あたりか?
「鬼の霍乱だ!」と父も母もあまり大げさには考えていなかったらしい。
病院で薬を貰って、その後も父は普通に趣味のスポーツ吹き矢の師範として飛び回っていたらしい。


1週間微熱が続くも回復する感じが無く、次第に様態が悪くなりついに今週再度病院に駆け込むこととなり、「ヘルペスウィルスによる帯状疱疹」という診断が下ったと昨日母より連絡を受ける。
発症から日にちも経っており、症状としてはかなり重症ということである。すでに顔面の神経まで影響が出始めているとの事だった...。
命に別状は無いとのことだが、当然父はそのまま入院。本日から神経ブロック注射による治療をやく3週間にわたりうけることとなるようだ。


父の入院はちょうど10年前の入院以来2度目となる。
10年前のときは胃と腸の間に腫瘍ができ、良性悪性かによっては命に関わる我が家の一大事であり、病院も都内の病院に入院したため、母の看病も精神的にも肉体的にもかなり辛かったはずだ。
結果は良性だったため、その日は母もボクもホッと肩の荷がおりた記憶がある。



今回は命の心配は無いとはいえ、母もあれから10年歳を重ね、祖母も日常のお世話が必要なほど老齢となっている。
病院も都内とまで遠くは無く隣の隣町くらいの距離なので、毎日通えなくも無い。
しかし、母は足に障害を抱えている。車も運転できず、とはいえ電車で出歩くのは無理な状況なのである。
だが、父の世話をするためにタクシーで毎日通うといっている。



昨晩、状況を聞こうと母に電話をした。
足も悪いのだから、あまり無理をしないように。無理して、いま動けていても疲れが溜まって倒れてしまうのだから。母が倒れては祖母の面倒もみれなくなるだろうし。と。
祖母のお世話は叔父さんに任せてはどうか?と。

だが、母は「わたしがしっかりしてる姿をおばあちゃんにみせとかないと、おばあちゃんもへばっちゃうから大丈夫!お父さんが生きてさえいてくれれば私は大丈夫だから」と。
気丈な人である。
気が張っているせいか、電話越しの声はいつもより若々しい感じがした。

母は続ける。
「昨日、0時までかかって吹き矢のお弟子さんたちに連絡をしてたの。お父さんが入院しちゃって今度の大会に迷惑かけるから。一通り電話し終わったら、急に涙がこぼれてきたのね。悲しいとか感じてる暇なかったんだけど、『ヒロさんに会いたい』って気持ちが溢れてきたのね。だから、だいじょうぶ体が辛くてもヒロさんに会いに行きたいんだから。」


我が母の言葉ながら、「深夜に1人『ヒロさんに会いたい』と思って涙をながす」といったこの言葉に感動してしまった。
若いカップルならなんてことない普通の恋愛感情だろう。
でも、約40年近く連れ添って一緒に生活してきた夫婦でありながら、いまだに相手に対してそういう純な気持ちでいられるものなのか?
この2人の強い絆に「愛情」というものの奥深さ、清らかさのようなものを感じてしまった。



ボクはまだ結婚したばかりだし、当然のことながら相方さんへの想いは普通にというか通常よりも若干大げさ目に持っている。
相方さんもボク同様に愛情を注いでくれている......と思っているが?(だいぢょぶか??...(^^;)ハハハ。)
だが、30年先、40年後のボクは、いまと変わらぬ愛情を相方さんから注いでもらえているだろうか?
これからもずっとそうであるように、ボクも相方さんのことを大事にしていきたいといつになくピュアなことを真剣に考えてしまった秋の夜長の出来事なのでありました。