「滝山コミューン1974」原武史 読了


このところ、lifehackをはじめ仕事術系の本ばかり漁ってたンで久々に重たい本を読了した。
「1974」という数字に惹かれて手に取ってしまった原武史の「滝山コミューン1974」である。

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四


東京オリンピックの頃にはまだ卵にもなっておらず、石油危機以降に自我に目覚め、80年代半ばに思春期を過ごし、バブル華やかりし頃に学生生活を謳歌した世代としては、ちょい前の全共闘世代にも当然属せず、ちょい下のテレビゲーム世代にもどことなく馴染めない、そんな中途半端感がある。
「シラケ世代」とか「軽薄短小」、「新人類」とかマスコミがもてはやす時期もあったがそれはごく一部の人間を指すものであり世代全体を表わすものではない。
そういう意味ではすでに「個」の多様化が始まっており、なかなか十把一絡げにできない世代になっていたのかもしれない。

そんな世代を背負って立つ言葉を持たないボクには1968年から1972年までのいわゆる「政治の季節」の事象、心象になぜか非常に興味を持ってしまう性向がある。
ボクにはトラウマがあったのだ。時計台のような塔の上で旗をはためかせ、そこに向けられる放水。山の中腹の民家を攻撃する鉄球。黒いマジックか墨のようなもので書かれた人が縛られている稚拙な絵。
これは、今となっては安田講堂から連合赤軍時件への流れだとわかるが、当時はリアルタイムで見てたとしてもなんのことだかわからない赤ん坊である。
なかでも「稚拙なところがかえって不気味に感じられた人が縛られている絵」は長年ボクの記憶の奥深いところでしっかりと残っていた。
2001年の冬、たまたま深夜のテレビで紹介していた1本の映画に興味を持ち、映画館に足を運んだ。
立松和平原作の「光の雨」だ。

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この映画を見て、初めてその絵が連合赤軍で行われていた「総括」なるものの絵であることがわかった。
理想に燃えて、体制に共に手を携えて立ち向かうはずの仲間に対して、なぜこのような仕打ちが出来るのだろう?単純な疑問である。
この当時は連合赤軍事件から30周年というタイミングであり、書籍やテレビでもようやくこの事件の真相について語り始めたという時期であった。
ボクもこの時期一体何冊の連合赤軍モノの書籍を読んだだろう。
これも、先ほどの「なぜこのような仕打ちが出来るのだろう?」という疑問を少しでも解消したかったからである。
しかし、十数冊読んでもこの疑問は解消されなかった。
同じ理想を抱いた少数の人間集団が世間から孤立し、その理想を純化させるとどんどん先鋭化して行き、人という怪物はたとえ同士といえども「異なる個である他者」をいとも簡単に消滅させてしまうイキモノだということをわからざるを得ないという事だけであった。
少々乱暴なグルーピングではあるが、新撰組という集団も同様の経緯を辿っているようにボクには思える。


けして、バリバリの保守というわけでも無いが、昔から革新系の人の言い分にはこのようなトラウマからかどうもうさん臭さを感じていた。
これは大学時代にリアルに体験したことにより、はっきりと「こいつらのいうことは信用できない」とボクの脳裏に深く刻み込まれたのである。

ボクが通っていた大学は政治の季節が遥か彼方の歴史の一項目として押し込まれてしまっているにもかかわらず、いまだに学生会なるものの活動が盛んなところだった。
道路に面したところにはオレンジや青や赤文字でかかれた「ホニャララ闘争!」なる勇ましい文体で立て看板が立て掛けられ、キャンパスにはヘルメットを被ったお兄さんお姐さん型がシュプレヒコールの練習をしてたりするようなところだ。
この勇ましい方々は毎年前期試験の前になると全学ストとかなんとかいって騒ぎ出す。こうなると教授が校内に入れなくなったりするので当然休講になる。
ラッキー!と思う反面、こちとら学費はらっとんのじゃッ!授業の邪魔すンなっ!!!といいたい気持ちも半分...(^^;)ハハハ。
しかし、この方々、試験日直前までストやって授業の妨害をするくせに試験当日にはしっかりスト解除をするのだ。
こっちは授業妨害されてちゃんと試験範囲が終わってないにも関わらず、奴等はしっかりと学生会を通して試験問題のマニュアルが渡っており、ちゃっかり試験を受けている...。

大学2年の時にはこんなこともあった。そろそろストか?という時期にボクらはフランス語の授業を受けていたのだが、そこに突然勇ましい方々が入り込んできて、ビラを捲き出した。
相手は2人、ボクらは40名。当然この方々に対して非難轟々である。教授はビビっていたものの、ボクらは怯むいわれは無い。
散々、こき下ろして、すわ乱闘かっ!?というタイミングで、この最初勇ましかった方々が逃げ帰った。
その時彼らが口にした言葉が「オマエら革○かっ!?!?」である...(^^;)ハハハ。
このお粗末なボキャブラリーと現世と完全に隔絶している感にヒートアップしてたボクらのテンションも一気に冷えきったのである。
この件以来、100%といっていいほど、ボクの中では「革新」という言葉を履く人間が信用できなくなった。

後日談であるが、ボクが卒業した翌年?この大学で事件が起こる。理事会にやり方に反旗を翻した教授が襲われるというものだった。この教授以外にもそれまで反抗した教授はなんらかの脅迫を受けていたという事がこの件をきっかけに暴露されたのだが、この理事会vs教授会の抗争の中でも前述の勇ましいお兄さんお姐さん方は理事会の手先として動いていたらしい。
ここまでくるとホントお笑い草である。なにが思想だ?なにが革命だ??といいたい(笑)


と完全に横道のそれてしまったが、話を元に戻す。
「滝山コミューン1974」の話である。
そんなこんなで、ボクには政治の季節に対して変なコンプレックスとトラウマがあるのだ。

いつものこの手の本に接するように読み進めたのだが......。舞台は東京都東久留米市。西武沿線の滝山団地の生徒がほとんどを占める第七小学校での作者が4年生から6年生までの児童による共同体の出現と崩壊のドキュメントである。

本文に入る前にカール・シュミットの引用がある。

あらゆる現実の民主主義は、平等のものが平等に取扱われるというだけではなく、その避くべからざる帰結として、平等でないものは平等には取扱われないということに立脚している。すなわち、民主主義の本質をなすものは、第一に、同質性ということであり、第二に−必要な場合には−異質的なものの排除ないし絶滅ということである。

ある意味、ボクらが受けてきた初等中等の公教育はまさにこの民主主義の本質にかなり近付いていたのではあるまいか?このように活字で示されると空恐ろしいモノである。

本文では、PTAの改革に始まり、いかにして学級集団が育ち、中心学級を核にして第七小学校に滝山コミューンとも呼ばれる共同体が現出していったかが、著者の違和感を交えながら書かれていく。


以下、気になった文章を引用する。

この学校はついに、5組によって支配されるのか。それに対して乾は、何の疑問も感じていないではないか。一体なぜだ。どうしたらこれほどまでに人の心を変えることができるのか。

そうそう、僕たちはまだ、十一歳の子供だということを忘れちゃいけないよな。
これはまことに単純な発言ではあったが、ある確信をついていたように思う。「滝山コミューン」に対して、当時の私が抱いた最大の違和感は、なぜ子供が背伸びして大人のまねをしなければならないのかというところにあった。何が「民主主義」だ、「民主的集団」だ。子供は子供らしくすればいいではないか。

前掲『係活動の指導』では、方針による「しごとの奪いあいの討議」の意味が次のように説明されていた。
方針によるしごとの奪いあいの討議、あるいは提出された原案の討議といったことは、それを通して子どもたちがあすの学級生活−学級コミューンの変革を構想することである。A班とB班のいずれの方針がとか、それをめぐってどちらを自分たちのあすの共同体として創りだすべきか、いわばイメージとしてのあすの世界を奪いあうことなのである。

それぞれの班の方針の問題点をたたかわせながら、もっとも弱い班の方針に集中し、その班が答えられなくなるか、その班の弱さが明らかになった時点で、議長が「消去法」を導入し、班会議を開いては、一つの班ずつ落としていく。

ある時期、小学校の教員に対してこのような指導方法がまかり通っていたのである。ともすれば、ボクの頃にもまだ残っていたのかもしれない。
ボクはこの文章を読んでいて気持ち悪くなった。
これではまるで連合赤軍がおこなっていた「総括」と同じである。体のいい合法的な吊るし上げと何が違うのか?方法論としては先生公認のいじめとなんら変わりがない。

しかし、ここで問題にしたいのは、自らの教育行為そのものが、実はその理想に反して、近代天皇制やナチス・ドイツにも通じる権威主義をはらんでいることに対して何ら自覚をもたないまま、「民主主義」の名のもとに、「異質的なものの排除ないし絶滅」がなぜ公然と行われたのかである。それは、ナチス政権下の公法学者となったカール・シュミットと同じように、民主主義に対するきわめて一面的な理解に根差していたといえないだろうか。

集団の名誉を傷つけ、利益をふみにじるものとして、ある対象に爆発的に集団が怒りを感ずるときがある。そういうとき、集団が事故の利益や名誉を守ろうとして対象に怒りをぶっつけ、相手の自己批判、自己変革を要求して対象に激しく迫ること−これをわたしたちは「追求」と呼んで、実質的には非常に重視しているのである。
(前掲『学級集団づくり入門』第二版)

これなどは、言葉は変えども、やっていることはまさに「総括」そのものである。


ボクらはすでに鉄のカーテンの崩壊、旧ソ連の崩壊とともに社会主義国家の終焉という結果を歴史の証人として知っている。
このような結果を知っているうえで、ほらね!というのは反則だが、やはりこの本を読んでソ連型の集団主義というもののうさん臭さが更に強まった。
そして、政治の季節は1972年に終わったとされているが、その後全共闘世代が教員となり、70年代の日教組の台頭の下でまだ静かに続いてたのかと思うとうすら寒くなった初秋の或る一日であった。