人生最後の式を目の当たりにして


随分長いこと間を開けてしまった...(^^;)ハハハ。
この間、ほとんど仕事に次ぐ仕事でほとんど寝る間も無く、いつのまにか馬車馬になってたのである......。
そんな馬車馬の日々が思いもよらない理由で突然ピリオドが打たれた......。


3月31日(土)の未明、祖父が亡くなったのだ。92歳の大往生だ。
とりあえず、平成19年度の契約を巡る社内決議が了承なのか否決なのかよくわからないあやふやな雰囲気で金曜日に終了し、でも本部長の決裁印はもらえたから取りあえず了承はしてもらったのか?とこの日はこれ以上職場にいる気力もなく、我がカリスマダンディーN部長とも週明けに残務整理でもするかということで早々に帰り、一夜明けて親からの連絡でこの事を知った。


ということで、まんま残務整理は残りのメンバーに任せて週末から実家に帰ったのであった。
実はその一週間前も祖父はほぼ危篤状態にあったらしいが、持ち前の生命力というか内蔵が丈夫というか、また持ち治って復活しつつあったという事だったんで、今回もダイヂョブなのではないか?と油断はしていた。これまで2度ほど同じように復活していた祖父なのだ。
でも、さすがに今回はダメだったらしい。
明け方、眠ったまま静かにその生涯に幕を下ろしたとのことだった。


ボクは今年のお正月に養護施設の祖父を訪ねた際に撮った写真を持って、実家に帰った。おそらく、この写真が祖父と撮った最後の家族写真だろうから。
数年ぶりに実家に戻ってきた祖父は以前叔母が住んでいた和室に寝かされていた。
その祖父の顔は非常に安らかな寝顔だ。正直、こんなに安らかな祖父の顔をみた記憶が無い。
晩年、病気で苦しんだワケでも無く、まぁ老人性痴呆症が進みうちの親は非常に苦労して世話をしてきたが、本人は感情の赴くままにまるで赤ん坊のような無邪気なひとときを過ごせたのではないだろうか。


実家に帰る途中、ボクはへんなところが気になっていた。
告別式はともかく、お通夜はどこでやるんだろう?やっぱり家でやるのだろうか?
ボクの祖父母の親戚はけっこうな人数がまだお付き合いあるンで、となると我が家はとんでもない騒ぎになるのではないだろうか?と。
農家の家と違うので、大人数が一同に会することのできる大広間などうちにはない。
こりゃぁ〜一大事だなっ!
などと、妙に現実的なところを気にしていたのだが、やはり最近の街中の一般住宅ではなかなかお通夜も出来ないので、お通夜からメモリアルホールで行うことにしたらしい...(^^;)ハハハ。


とりあえず一安心だったが、翌日のお通夜に向けて納棺前に親戚一同が我が家に次から次へと押し寄せてくる...。
みな祖父の安らかな若々しい顔をみて驚いていたが、ボクが恐れていた通りあ゛っ!?という間に祖父が安置されている部屋は一杯になり、隣の居間まで親戚連中があふれ出てくる...(^^;)ハハハ。
これぢゃぁ知らない人がひょっこり入ってきて家の中のものを拝借していってもわかんないよなぁ〜などと冷静な見物をしつつ(笑)
とりあえず、お通夜と翌日の告別式が行われるメモリアルホールの地図を渡して、人を流すこととした。


今まで、他人のお葬式に出たことは何度もあるが自分の身内のお葬式で、他人を招くのは初めてだったンでこんなにワヤワヤの大騒ぎになるとは思いもよらなかった。
これでは、故人の身内として故人を偲んでいる暇も無い...(^^;)ハハハ。
でも、まぁ〜祖父の場合は大往生だったからうちの人たちも湿っぽくもならず、むしろほっとした部分もありかえってよかったのかもしれない。



と、こんなワヤワヤで気が休まる暇も無く写真を撮って回ったり、久々に会う親戚連中と話をしたりでお通夜&告別式を忙しない日々だったのだが、告別式の時にメモリアルホールの司会者が故人を偲ぶナレーションを入れている時にボクは祖父との思い出を振り返っていた。
というのも、このナレーションはとにかくエピソードとそのナレーションテクニックで列席者を泣かせたくって仕方がないと言わんばかりの演出をしてくるので、その大袈裟ブリにボクは絶対そんな嘘っぽい演出で泣かされまいぞッ!!!と心に誓っていたのだ。(以前、物心ついて以来ほとんど接点の無い大伯母の告別式に列席した際に、不覚にも雰囲気に飲まれて泣いてしまったのである...(^^;)ハハハ。)


ボクの祖父はほんと物静かな人だった。温厚で真面目を絵に描いたような。今の女の子からすると面白みの無い男と一刀両断されてしまうよぉ〜なそんな実直一筋な男である。
そのせいか、ただでさえお婆ぁ〜ちゃん子だったボクとしてはほとんどエピソードらしいエピソードが思い出せない。
幼少の頃は遊んでもらっていたらしいが、自意識が芽生え始めてからはむしろ祖母の後をついて回っている自分の記憶しかなく、なかなか祖父の思い出が出てこない...。


唯一ハッキリ思い出せたのが小学校2年か3年の頃のエピソードだった。
いつものように学校に行って授業を受けていると、授業中に別の先生が入ってきて「◎○君、すぐにお家に帰ってください。おじいちゃんが亡くなられたそうです。」とボクに告げる。
ボクは朝一緒にお爺ちゃんとご飯食べてたのになんでだろ?と不審に思いつつ、通学路を家に向かう。
その途中、その前の日にお爺ちゃんに酷いことを言ってしまったことを思い出し、「お爺ちゃんゴメンなさぁ〜い。ボクが酷いこと言ったからぁ〜」と波だと鼻水でズビズバになりながら走って帰った事をいまでもありありと覚えている。
前日に何があったかというと、よく行く駄菓子屋に欲しかったプラモデルが入荷しており、いつもならお婆ちゃんにねだるのだが、お婆ちゃんがその時おらず、でもすぐにでも欲しいボクは調度いたお爺ちゃんにねだったのだ。だけど、おじいちゃんには願いをかなえてもらえず、それで多分「くそじじぃ〜」とか「だいっきらいだっ!」とかそんなことを言ったのだろう。
グズグズで家に帰ってよくよく話を聞いたらお爺ちゃんではなく、祖母方の曾お爺ちゃんが亡くなったというのが事の顛末である。


なんかこのことばかりありありと思い出され、ほかの祖父との思い出といえば施設に入ってから年に1度か2度尋ねた際の美味しそうにおまんじゅうを食べる祖父の姿などのここ数年の事ばかりだ......。
あまりにも寡黙だったボクの祖父。
まだ、染色職人をしていた頃、ささやかな晩酌に舌鼓をうっていた祖父。
指を真っ黒にしながら染色で使う板の手入れをしていた祖父。
料理なんてほとんど出来ないくせに、興が向くと突然じゃがいもの天ぷらを作り出す祖父。


ボクと一緒に何をしたとかいう祖父との思い出はほとんど無い。思い出せるのは祖父が何をしていたとかいう断片でしかない。
祖父は祖父なりに初孫であるボクに愛情を注いでくれていたのだろうが、それにあまり応えてあげられなかったような気がして、今になって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


細く長く大往生だった祖父の人生。お通夜、告別式を通してほんとに湿っぽくなく、いい式だった。
ここ数日、寝る間も無く準備をしてきた我が御尊父様&御母堂様。フラフラになりながらもなんとか両日会場にいられた我が祖母。
みなさん本当にお疲れさまでした。数日はごゆっくりリポビタンDでも飲んでご静養ください。