これも一つの純愛小説のかたちなのだッ!

  
「普通あんな話し方しないよねぇ?」
けっこうボクのお気に入りの文庫本を読了した後の相方さんの発言である。


.........。なるほど、確かに言われてみて気付いたことだが、小説の中での話し方って現実とはちと違和感を感じさせるものが結構ある。
活字フェチ気味のボクからすれば、その世界にどっぷり嵌ってしまうのでさほど気にならないが、小説なるものを読み慣れないと違和感を感じるのだろう。
ある意味、純で新鮮なコメントだった。


小説が売れないと出版業界は嘆いて幾久しぃ〜が、ケータイ小説など違うメディアでヒットを飛ばす小説もある。
ケータイ小説は読んだことないが、やはり普段あまり小説を読み慣れない人でも受け入れやすい、話し言葉なのだろうか?
ライトノベルもそいえば、ほとんど日常の話し言葉だ。


やっぱ、「話し言葉」のほうが受け入れやすいのか......。




「小説とは文体である!」と偉い人がいっていた......多分。
誰だが今となっては失念の彼方だが、確か誰かが言っていたはずである。


中学で初めて村上春樹の小説を読んだとき、どことなく薄暗い障子越しの薄明かりのような文豪の小説とは異なり、カラッと湿気のない陽の光を彼の紡ぎ出す言葉に感じた。
小洒落たレトリックをまとった文体とそのリズム。こゆのも文学なのかっ!?とそれまで教科書でお馴染みの文学に対するイメージと異なる新しさを感じたのはたしかに、彼の小説の文体だった。


以来、ボクはどちらかというと文体に特徴のある小説を好むようになった。
特徴あればなんでもいぃワケではないが......(^^;)ハハハ。




いつまでも浸っていたい小説にめぐり合う事がある。
年に数冊出会えればラッキーなほうだ。
舞台となる世界、魅力的な登場人物、いつの間にかその物語の中に引き寄せられてしまうストーリー、そしてそれらを表現する文体がボクの感性と調和した時、至福の時間が訪れる。


あと数十頁、あと数頁と名残惜しいが、でも早くラストを読んでみたい。
そんなジレンマがまた愛おしい......。



夜は短し歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女

昨日読了した「夜は短し歩けよ乙女」(森見登美彦)はまさにそんな小説である。


「運命のご都合主義」に満ち満ちた物語。
この作者の書く作品は小説というよりも「物語」という言葉のほうが似合っていると思う。(あくまで個人的な印象ですが...うまく表現でき無いンですが、そんなニュアンスなのです。)


年明けすぐだが、おそらくこれはすでにボクにとっての今年ベスト1の小説となるであろう。



太陽の塔」、「四畳半神話大系 」に続いてのまたもや京都が舞台のお話。(ちなみにこの2冊も快作です。)
京都が舞台とっても、誰もが知ってる京都というよりも、地元の人達しか分からないようなホンのちょっとした界隈が設定されている。
このあたりは昨年のベスト1だった「鴨川ホルモー」と同じような舞台だ。


主人公は2人の「私」。
一人は悶々と黒髪の少女を追い求めて彼女の外堀を埋めることに四苦八苦する大学生♂。
もう一人はその大学生がほのかな恋心なのか...いや、全生命をかけて追いかける黒髪の大学生♀。
この2人が交互に話を進めていく形式である。


この2人に絡むその他の登場人物も天狗のような能力を発揮する浴衣姿の謎の人物。(この人、他の小説でも出てたよぉ〜な?)
なにやら大層なお金持ちらしい老人。
等々、魅力的なサブキャラが2人の「私」に絡みまくる。


この妄想に妄想が膨らんだ春・夏・秋・冬にかけての真摯な純愛(......なのか?)、はたして私の想いは!?
というところなのだが、この大学生♂の恋模様など正直どぉ〜でもいい(笑)
そんなことよりも、この作者が紡ぎ出す文体に浸ってほしいと思うのだ。


彼の文体は妙である。
おそらく、相方さんに読ませても「こんな話かた普通しないよね?」と言われてしまうシロモンである。
少々時代がかったというか、豊富なボキャブラリーによる文体で読むものの心を現の世界から夢の世界へのいざなってくれる。
これぞ、小説読みの醍醐味なのである!



ここ数年、これでもかこれでもかと出版社がたたき売るよぉ〜な、涙涙の純愛小説ではない。
しかし、ここに綴られる物語はまさしく恋愛至上主義社会に溺れかかる男の純愛物語なのだ。



恋に恋する乙女は可愛いこともあろう。
だがしかし、恋に恋する男たちの分けへだてない不気味さよ!

(本文より)