東京大空襲の記念碑を巡って

  
きょうはちとマヂメなお話を。


午後、仕事がひと段落して休憩室から外を眺めてみると...。
ボクの会社のビルは都心からちと離れたところにひょっこり建っているため、非常に見晴らしがいい。
いつもの休憩室からは隅田川より東の光景が良く見える。
改めて見ると遠く微かに筑波山が見える程度で、あとは山も林も何もなく大小さまざまな建物に覆われた平地が地平線まで広がっている。
61年前の3月この辺一帯は米軍の焼夷弾で辺り一面火の海とされたのだ。約10万人の市民の命が奪われたという。



この景色を見ているうちにちょうど二ヶ月ほど前、ロッテンマイヤさんからボクはある指令を受けた事を思い出した。
ちなみにロッテンマイヤさんとはボクの祖母である。(4歳までこの厳格な祖母に育てられたが故、ボクは心の中で祖母のことをハイジの教育係ロッテンマイヤさんと呼んでいる。)
もうおそらく先は短いこのロッテンマイヤさんは最近突然脳のシナプスが正常に機能し、今までの人生で遣り残したことなどを思い出す。
このときは、「深川に親戚が住んでいたのだが、昭和20年3月10日の東京大空襲で亡くなってしまい、その後何の供養もしてやれなかったのが悔やまれてならない。なので、亡くなった場所を見つけてきてほしい」というものだった。


なにをまた突然!?キーワードは「とうよう小学校」のみ。
よくよく聞くと、その親戚というのはロッテンマイヤさんのお父さん(ボクからすると曽祖父)の妹さんの嫁ぎ先らしい。
山形の没落士族だったロッテンマイヤさんの身内は結構、深川にあるその家庭を頼って戦前東京にでてきたらしいのである。
まぁ、あとで枕元に立たれて恨み言を毎夜聞かされてはたまらないので、残り少ない孝行の一つでもしてやるかとその「とうよう小」を探しに深川探索に出かけた。
ラッキーなのは、通っている会社も昔で言うところの深川であるし、この辺は土地勘もあるのであらかじめ当たりが付けられたことだ。
「とうよう」っておそらく「東陽町」近辺だろうなぁ〜と思い、東西線東陽町駅を降りて交差点にある地図を見ると......。
御祖母さん、探すまでもありません。信号渡ると東陽小学校がありました......(^^;)ハハハ。


↑公園の奥の建物が東陽小学校


あ゛っ!?っというまに役目は終わってしまったのだが、その家族は空襲時に東陽小に避難して、家長のおじさんを残して全員亡くなったそうである。
これで、見つけてきましたと報告しただけでは、あとで枕元に立たれて恨み言を毎夜聞かされる羽目になりかねない。


いったん、家に戻りNETで東京大空襲に関わる場所を調べていると、東陽町の近くに「東京大空襲・戦災資料センター 」というものがあるという。
そういえば、東京大空襲といっても歴史の時間におそらく10数分教科書の該当ページを読んだだけでなにもしらないよなぁ〜と思い、再度深川探索に出ることにした。
ここは有志による民営施設らしく慎ましやかな佇まいなのだが、この時期テレビ報道もあったかなにかで結構人が集まっていた。



ここでは、NHK特集で放映したという東京大空襲のビデオの放映と遺品の展示がされている。
そのビデオには米軍が隅田川以東に的確な爆撃をしていた模様が映し出されていた。まさに逃げる隙もないほど緻密な爆撃だった。おりからの強風も手伝い、辺り一面火の海と化したのだろう。
見学自体は規模がかなり慎ましいのですぐ終わってしまうのだが、これからのボクの任務遂行に非常に役にたつアイテムを入手した。


「戦災資料センターから東京大空襲を歩く」


ここの関係者の人たちの長年の活動が集約されており、東京大空襲になくなられた方の慰霊の場所が様々紹介されている。驚いたのはそのほとんどは、国や都がちゃんと整備したものではなく、その地区の人たち自らの手によるものということだ。
だから、深川地区の様々な場所に実は点在しているのである。
このパンフレットは先のテレビ報道の時にも紹介されたらしく、静かなブームとなっているらしい。


ボクはこの中で紹介されている東陽町地区の慰霊碑を巡ることとした。
再び東陽町駅に戻り、まずは東陽小が含まれる東陽4丁目、5丁目の方々の霊を供養するために昭和23年に町会によって建てられたという深川親子地蔵尊へ。



深川親子地蔵尊から東陽小のとなりの深川高校へ向かった。ここだけでも300名以上の方が亡くなっているとのことで、敷地内に東京大空襲戦災殉難者慰霊碑の碑が建てられている。



再び東陽小学校に戻り、亡くなられた深川の縁戚に”随分時間が経ってしまいましたが、ようやくたどり着きました。まもなくロッテンマイヤさんもそちらに向かうと思いますので、お会いしましたら昔話に花を咲かせてやってください”とお祈りをした。


後日、慰霊碑めぐりの写真とパンフレットを片手にロッテンマイヤさんの元を訪れて話を聞かせたら、「さすが私が育て上げた孫だねぇ〜。よく見つけてくれたねぇ〜」
と涙ぼろぼろだったのだが、最後にお祈りの言葉を言ったとたん「まだまだわたしは呼ばれてないよっ!罰当たりがっ!!」と若かりし頃のロッテンマイヤさんバリの勢いで叱られた......。
しばらくは、枕元にロッテンマイヤさんの生霊が立ち、毎夜恨み言を聞かされる日々となりました。