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『織田信長 <天下人>の実像』金子拓 読了!☆☆☆☆

安土城址 天主跡

出だしでやられた。

織田信長は本当に全国統一をめざしていたのだろうか」
「信長権力から「統一」の言葉を切り離して考え直す時がきているのではないだろうか」
織田信長 <天下人>の実像 (講談社現代新書)
金子 拓
講談社
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天下統一の目前で斃れた織田信長は、日本国を近世へと切り開いたエポックメイキングな歴史上の人物として語られている。最後も一番の近臣であった明智光秀の謀反による本能寺の変ということで、様々な研究から歴史ifまで喧々諤々歴史ファンを楽しませてくれるネタである。

本書は、武威による全国統一という面ではなく、足利義昭を奉じての上洛から本能寺の変までの15年間を『朝廷』との関わり、『朝廷』側のその時代の存在意義と役割を通して、今まで述べられてきた朝廷と信長の関係性を再構築したものである。

で、出だしである。
信長が使用していた『天下布武』。
ここでいう『天下』とは我々がイメージする天下と同一なのであろうか?
天下布武とは天下統一と同義なのであろうか?
著者はこの『天下』と『統一』を切り離して考えてみることが必要だと説く。

では、ここでいう『天下』とは、天下の範囲とはどこまでを対象としたものだろう。
朝廷の大切な役割とされる『天下静謐』。
この天下は一体全国を指しているモノだろうか?
この辺りの解釈は目から鱗である。
導入部で視点の転換を迫られることにより、信長上洛後の彼の考えとされてきたこと、行動の解釈が全く違ったモノとして再構築されていく。

これは、新たな資料、研究が進んだことによる解釈である。時代時代により歴史研究は深みを増し、これまで結びつけられなかった資料が結びつくことで、新たな解釈が成立する。
だから、歴史は面白い!

ロマンはどこだっ!?

DSC05644 『ロマンはどこだっ!?』

言わずと知れた?伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」と思っていたら勘違い、「陽気なギャングが地球を回す」の中の名台詞である。

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)
伊坂 幸太郎
祥伝社
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本を読んでいると、こういった一発でやられてしまうワンフレーズに出くわすことがある。
こういう文章は脳髄を経由せず、脊髄反射的に身体全体に染み渡る。したがって、全細胞が思考の塊になり、その作品に急速に没入していき至福の時間を過ごすことができるのだ。

昨晩会話の中で、『殺し屋のくじらとか聞いたら何の本かわかる?』と聞かれてとっさに伊坂幸太郎のヤツ!とまでは思い出せたんだけど作品名が出てこず...。(ちなみに正解は「グラスホッパー」です。)
しかし、伊坂幸太郎といえばこの『ロマンはどこだっ!』と言うことだけは灰色の脳細胞の中にしっかりと刻まれているワケで。
やはり、小説の中でのキラーフレーズって大切なものなのね。と久々に思い返した楽しいひとときでありました。

と、そぉ〜いえば以前はこういったキラーフレーズをノートに書き留めていたのを思い出し、先ほどそのノートを発掘した。
ちょうどうちの相方さんと付き合いだす前くらいの、積ん読崩壊圧死事故の恐怖に苛まれながら、日々読書に耽っていた頃に書き留めていたモノが多い。

いまだとKindle読みながらハイライトつけて、Webで一覧で見られるんで手間が格段に減ったが、この頃は本を読みながら気になるとノートを手に取り書き写していたんで、やっぱりこんなコトしていると本の世界に没入できず、面倒くさくなってきてそのうちいちいち書くのを止めてしまったものと思われる。
ノートにはナンバリングがしており、最後の数字は092だった。
100番までもいってないのか!?我ながら恥ずかしい…(^^;)ハハハ。

そんなノートの中から、今読んでも当時の作品の世界が蘇ってプププッとなってしまったものをいくつか紹介。ちなみにあくまで個人的な嗜好による基準です。


自分のために書く文章は人に見せるための文章に優る。
第一稿はハートで書く。
リライトには頭を使う。
文章を書くときは、考えずに書くこと。
映画『小説家を見つけたら』ウィリアム・フォレスター

新しい言葉はどんな場合でも過去の古い言葉の中に眠っているのだ。
小説を書く行為とは任意の場所に空間からスタートし、ここ以外には絶対にあり得ないという一行に向かう長い旅なのである。
『「書ける人」になるブログ文章教室』山川建一

ついにふたたび起動する私のロマンチックエンジン!

思春期を明けた頃には立派な変態になっていました。

恥を知れ!しかるのち死ね!

恋に恋する乙女は可愛いこともあろう。だがしかし、恋に恋する男たちの分けへだてない不気味さよ!
『夜は短し歩けよ乙女』森見登美彦

「男と女」その間には無限に広がる幸福と悪魔の奸計とが同居している。

大久保町は燃えているか』田中哲弥

いい思い出を復活させるには自分を騙すほどのストーリーテラーでなければならない。だいたい独りの努力じゃどうにもならないので、協力してくれる相手を探さなくちゃいけない。それが無理なら大人しく、いやな思い出を忘れることに専念するしかない。そうやって記憶は検閲され、虫食いだらけになり、ガラクタばかりが残る。

『自由死刑』島田雅彦

ウンコに思想はあるのでしょうか?

恋愛とは萌えて忍ぶものなり。

人間とは葦である。だが、萌える葦である。
『?』詠み人知らず

最初の二つは物書きの姿勢というか、ホッホォ〜と感心して書き留めたモノなんだろう。 特にショーン・コネリー主演の「小説家を見つけたら」はこの台詞に限らず未だに観返したくなるボクにとっての名作。

森見登美彦田中哲弥あたりは明らかに変態だし、島田雅彦に至っては変態というより変質者である。
文芸の枠に入っているからと言って油断してはいけない。だいたい、人間の業を表現するような物書き家業が健常者につとまるはずが無いのである。
ボクの思考の8割は『妄想』で補われているので、彼らのような捻りすぎて呆れてしまうような文章を目にすると、脳内でイメージされる妄想の世界はドーパミンが駆けずり回って、合法ドラッグなんぞものの数には入らないほどの快楽悦楽至福の世界が広がるのである。



大久保町は燃えているか (ハヤカワ文庫JA)
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自由死刑 (集英社文庫)
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詠み人知らずで挙げたモノは多分、隣に鎮座坐して在らせられた我が偉大なるリーダーのお言葉であろうが、彼も立派な変態だ。
こうしてみると、つくづく変態の発する言葉にボクは弱いよぉ〜である。
まだまだ先達の域には達せない、しがない末端構成員のボクなのである。


『池袋人、金沢人に脱皮する?』の巻


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母さん、これがお国です。


支店長、飛んでいって飛んでかえって、行ったり来たりの迷い道クネクネなのである。

来週からうちのメンバーがボクの古巣にお世話になるんで、古巣の虎ノ門にご挨拶、その後全国会議で豊洲に参集と、相変わらず上京しても古巣のメンバーとゆっくりできない弾丸ツアー...(^^;)ハハハ。

そんな中、ついにというか嗚呼...というかな出来事が...。

東京を離れてはや三カ月。
支店長、上京してショックだったこと。

その壱、エスカレーターに乗って整列するとき、左側だったか右側だったかわからなくなっている...。
その弐、羽田から新橋まで切符を買うとき、連絡切符の買い方がわからなくなっている......。
その参、京急線のホームで電車待ちしているとき、次の電車が新橋まで連れてってくれるのかが心配で心配で仕方がない.........。

母さん、この三カ月でボクはすっかりスポイルされてます............。

これまで、まだどこかで東京の人気分が抜けてないというか、所詮オイラはストレンジャーさという感じを持っていた。

着任時に事業部長からは「三ヶ月で是非金沢の人になってください」と言われたが、いやいやイヤイヤ無理無理無理ッス!と心の中で思っていたもんである。
だって、実家暮らししてた期間より上京してからの期間のほぉ〜が長くなってんだから、そんじょそこらで人間変わるモンじゃないでしょ?
と思っていたのである。

それがこの体たらく...(^^;)ハハハ。
金沢で北陸の食材を口にし続け三カ月。
新鮮な山の幸海の幸に恵まれ、食を楽しむ歓びにどっぷり浸かり三カ月。
さすがに北陸の食材がボクの血となり肉となり、骨にもならずに排泄されて三カ月。
食材の遺伝子がボクを細胞レベルから改造し、金沢人と化しつつあるのでしょう。

ということでさようなら池袋人だったボク。
こうなったら、立派な金沢人目指します。
立派な金沢人になるには金沢検定受験せんといかんっ!!

ちなみに今日の馴染みの久々の東京飯はこちら!

お昼は羽田空港第二ターミナルの新宿アカシアのミンチカツとロールキャベツのセット。

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帰りは同じく羽田空港第二ターミナルの丸亀製麺、明太釜玉

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どちらも相変わらず美味しゥ〜ございます。
懐かしすぎて頬を伝う涙の塩気がまた味わい深く...(; ;)ハラリ。



単語の変遷についての戯言

231208 飼育係。ウサギが2兎。

今朝、通勤時にiPhoneからシャッフルで音楽を垂れ流していると、GILLIEがカバーした『いきものがかり』の♪じょいふる♪が流れてきてふと思った。

じょいふる
カテゴリ: J-Pop

いきものがかり』、言わずと知れたあの鉢のデカい女の子がボーカルの人気バンドである。 初めてこのバンド名を聞いたときに、その語感からボクはものすごい違和感というか背筋がゾクゾクするものを感じたのだ。
これは、いきものがかり初遭遇の時のお話である。

その時ボクの耳から入ってきた『いきものがかり』は脳内で『逝き物罹り』とすぐさま変換されていた。
文字面からするとなんかオカルティックというか心霊ものというか、動物憑きをイメージするようなバンド名からいったいどんな音楽なんだ?人間椅子みたいな感じか??と勝手に想像していたのである。
それが実際音楽を聴いてみると、人間椅子なんてどこへやら、J-POPの王道ど真ん中といった路線であり、今度はバンド名と音楽性のギャップに勝手に疑問を抱いていたのである。

これはいかんっ!とうちの相方さんに聞いてみると、
♂『ねぇねぇ、いきものがかりって知ってる?』
♀『知ってるけど?』
♂『なんか気持ち悪いバンド名ぢゃね??』
♀『なんで?可愛ぃ~ぢゃん!』
♂『え゛っ!?なんで?なんで??オカルトっぽくない?』
♀『頭おかしくない??「生き物」の「係」でしょ??』
♂『なに?「生き物係」って??』
♀『学校の係であったでしょぉ~よ?生き物のお世話する係っ!』
♂『............知らん。それをいうなら「飼育係」でしょ?』
♀『「いきものがかり」っ!!!』
♂『...............。』

と、当時こんな会話が繰り返されていた記憶がある。

学校で生き物のお世話をするのは『飼育係』ではないのか?
実際にボクは飼育係だった。
飼育係としてうさぎやチャボ、ミドリガメやメダカ、校庭に迷い込んだ犬を追い掛け回したり、遠足で牧場いった時にはヤギの金玉をツンツンするために追い掛け回したり、逆にヤギに怒られて追い掛け回されたりしたのは飼育係としての矜持である。

それを『生き物係』とはいったい教育委員会で何が起こったのだろうか?
なぜ『飼育係』から『生き物係』に変わったのだろう?そこにはきっと理由があるはずなのだ。
でなければ教育の場でこんな言葉狩りのような単語の変更はありえないだろう。

『生き物係』の構成は「生き物」の「係」である。
なんだいったい?生き物の係って?どぉ~した?大丈夫か??教育現場???
なにぶん昭和な男の遺伝子で組成されているボクの脳みそはこんな安直な単語は受け付けない。
それに比べて『飼育係』のなんとわかりやすいことかっ!
「飼育」をする「係」である。
まだ言葉というものの使い方を理性で整理できていない子供に覚えさせるにはこういった意味のある単語のほうが、教育上よろしいのではないだろうか?


なぁ~んてことを思い出して朝から憤っていたのだが、いきものがかりの音楽はノスタルジックな感情を刺激されるので、昭和な男も大好きなのです(笑)

『司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像』(一坂 太郎)読了!

桜山招魂社

本書は司馬遼太郎の名作「世に棲む日々」、「竜馬がゆく」に描かれる吉田松陰高杉晋作坂本龍馬といった幕末の英雄像に対して、歴史の専門家の立場として史実に則った検証を試みているものである。
作者は国民作家である司馬遼太郎の作品を通して描かれる英雄像に対して、国会議員をはじめとして無邪気に受け入れる読者への影響を危惧しているらしい。ところどころ「司馬史観」と言われているモノに対しての危惧が感じられる。


Amazonのレビューではかなり高評価が多いのだが、ボクとしては本書の意義が感じられない。
影響力が高いとはいえ司馬遼太郎が描いたものは歴史小説なのである。けして歴史書ではない。
小説家は『ものがたり』を紡ぐのが職業であるため、当然のことながら物語のストーリーを重視して描くものである。乱暴な言い方をすると「嘘ついて客を喜ばせてなんぼ」の商売である。
それに対して、いちいち『小説の中ではこうだが、史実は異なる。実際はこうであった。なぜ司馬遼太郎はこれを描かなかったのか?』といちいち反論することになんの意味があるのだろう?

司馬作品の時系列に対して実際の吉田松陰高杉晋作坂本龍馬の行動・判断はそれぞれこうであったという資料に基づいた検証ということであれば、そういうスタンスでまとめたほうが歴史好きなボクとしては素直に受け入れやすい。
いちいち司馬作品の中身に触れての反論というスタンスは、作者自らが危惧している司馬遼太郎の影響力を当てにしてのプロモーション的な意味合いがあるのではないかとかえって穿った見方をしてしまうのだ。
そういう意味では、ボクにとっては本書は非常に残念な印象なのである。

あくまで司馬作品に対する検証というスタンスを崩したくないのであれば、歴史家としての検証だけでなく、『史実はこうだが、なぜこのとき司馬遼太郎は異なるストーリーとしたのか?執筆寺の時代背景を考慮すると司馬遼太郎の思惑はこういうところにある。また、前後のストーリーを考慮するとこの流れが自然である。』とか文芸批評のような形でまとめるべきではなかったか?と。

『突変』(森岡浩之) 読了!

Another World

森岡浩之の『突変』を読了した。
文庫版だと733ページという大作だが、それを感じさせずに一気読みしてしまうエンターテイメント作品である。

突変 (徳間文庫)
突変 (徳間文庫)
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徳間書店 (2014-09-19)
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本書はSF小説である。
といっても華麗なスペースオペラでもハードSFなわけでもない。
舞台設定はSFであるものの、描かれる物語は日常生活に突如舞い込む『被災』に遭遇した市井の人々の物語である。

本書がSFであるワケに舞台設定にあるのだろうが。
タイトルにある『突変』。
突変とはある区域内が別次元、異世界の同一区域と入れ替わる現象のことである。

表地球と裏地球なのか、全く地球と異なる異星なのかははっきりしない。
表から裏に転移した表地球だった一部は寓地と呼ばれ、寓地からみた表地球は故地と呼ばれる世界を舞台に、ある日突然巻き込まれた住人たちの日常がリアルに描かれていく。

震災のような大災害に見舞われたとき、人というものはかくも日常の意識に固執するものなのか?というくらいに目の前に起きていることと日常の心配事が奇妙に重なり合う。
あまりにも理解不能な事象を目の当たりにするとパニックに陥らないような平衡感覚が働くのだろうか?
そんなことどうでもいいと思われることに執着する住民の行動が怖いほどリアルに感じた。

これは面白い!

『繁華街』とは実に業に即して合理的なのである。

魔界のセンター

ほぼ4年ほどブログを放置プレイしている間に、我が家は2回引越をしている。
最近はついこの夏の金沢転勤に伴う引越であり、その前は一昨年にうちの相方さんとの生活が始まって以来6年間住み慣れた豊島区高松のマンションを離れて、豊島区池袋に移り住んだのである。

池袋引越のきっかけは、
♀『そろそろ犬飼いたいなぁ〜ワンワンワンッ!』
といううちの相方さんのご要望だった。

お犬さまと同居可能でこれまでのマンションより広く、できればあまり月々の負担が高すぎないというワガママな条件で探したところ、なぜか池袋西口徒歩5、6分という好立地条件のマンションに入居することとなった。

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生後2ヶ月当時のうちの小春さん。

位置的には池袋西口を出て要町に向かう西方面ではなく、劇場通りを北方面。
以来1年半、ボクは池袋西口一番街やら北口といった、最近合法ドラッグ関連で世間を賑わせた一角を通り抜けながら生活を送ることとなる。

最初のうちは、飲み屋やらヲトナなお店の呼び込みをウザがりながらイライラと通り抜けていたが、それも慣れてくると冷静に街の有り様が見えてくる。

池袋のこの北口&西口に至る一角はリトルチャイナばりの特徴的な一面もあるものの、非常に人間の『業』と『欲』というものに実に忠実に構成されているのだ。
まず、池袋駅西口を出て北に向かって商店街に入ると飲食店エリアが広がっている。
次のエリアは飲んで気が大きくなった貴兄を心温かく迎えてくれる風俗店エリアとなる。
この次のエリア♂♀の構成により分岐ができている。
風俗エリアで吐き出すだけ吐き出して身も心もお財布も軽くなったところで、体と心を慰めるためのビジネスホテル。
♂♀のつがいの場合には飲んで気が大きくなった貴兄のために、大切な女の子をエスコートしてさらに親密なコミュニケーションが図れるラブホテルエリアが広がる。
♂オンリーの場合でも、電話一本で一夜の彼女になっていただける夢のようなサービスがこの界隈では盛んなので、独りラブホテルで待っているとステキな女の子が現れてメイクラブっ!
その先によぉ〜やく一般市民向けのマンションの類が立ち並ぶのである。

まさに、駅を出てからというもの『食欲』『性欲』『睡眠欲』という人間の『三大欲求』をものの見事に順番に満たしてくれる夢の国が成立しているのである。
これに気がついたとき、繁華街というものの業の深さ、人を引きつける魔力の源泉を再発見したのでありました。

いやぁ〜ヲトナの考える事ってつくづくだなぁ〜〜〜(笑)